LIVE FREE -執着しないこと-

2016年1月にプロポーズされ、6月に体調不良で休職し、同時に母親が2度目のガンで手術し入院。その前に婚約していた彼から距離を置こう、と言われた28歳女のブログです。

自分のための自分による目標

6月末まで仕事を一日も休まない。

こう宣言したのは1月末。
そして、この目標を達成するまであと2週間となりました。ふっふー!


つまり今日入れてあと10日ということ。
カウントダウンが始まっています。



で、もうもう30日が楽しみなのです。
何と言うかもう・・・ニヤニヤがとまらないのです。

とっても幸せなのです。


だって、なんと彼が30日お祝いをしてくれる!!!
そして、それが江戸前寿司食べ放題な訳で・・・・!!!!!!


30日お祝いしてくれる。30日会えるってだけで・・・はぁもう幸せすぎる。

しかも回らないお寿司食べ放題に連れてってくれるなんて、本当に嬉しい。最高。神彼氏。




彼と会うのが決定する前、30日金曜日をどう過ごそうかもちろん考えていた。

「そりゃ、彼が祝ってくれたら嬉しいけど・・・」とは思っていた。
でも、私は自分からお祝いして!なんて言わずにいた。

今思えば何でだろう。前だったら確実に自分から何かしら言っていたかもしれない。
でも、今回は違った。

自分の力だけで本当に頑張って達成したことって、自分が自分にご褒美をあげるんだ!!
っていう感じがしっくりきていた。

30日会える?なんて聞いたら今頑張っている自分の中の何かが崩れそうだと思った。

他人にこの自分の頑張りを託してしまったら、そこに縋ってしまう自分が出てくる。
そんな感じかなあ。


これを頑張れば、絶対彼が褒めてくれる。
以前はそんなことばかり思っていた気がする。


自分が頑張っていることは、全て「彼のためだ」って本気で思ってやっていた。
その裏には、彼に認められないと不安、という感情が隠されていて、毎日不安でしょうがなかった。

そんな時に限って、彼は「そんなのやって当然だ」とか「なんでもっとこうしないの」とか言って全然褒めてくれなかったりする。
(そんな時に限って、という言い方をしたけどこういう時ってそうなるものです。宇宙の法則で。)


自分が頑張っていることの原動力は完全に彼だった。だから、うまくいかないことも彼のせいにした。
上手くいかなくて悩んでいる私を助けない彼をたくさん責めた。
上手くいっているとき、褒めてくれない彼を「ダメ彼氏、優しくない、厳しい」とかって思っていた。

こんなことが実際本当に起こっているのに、私はいい事をしていると思っていた。
彼のことだけを思って、彼のためだけに行動する、それが私の『いい彼女像』だったから。

こんなに尽くしている私って凄く健気。だから愛されて当然だ、ってね。




「6月末まで休まない」という今回の目標は、一点の曇りもなく自分のためだけの目標だ。
だから、30日お祝いしてって自然に言わなかった。
まあ、彼のことだし次ぎ会ったときにやってくれるだろう。7月くらいかな~とか思えている自分は凄く変わったと感じる。

少し疲れたら彼の声が聞きたくなって、自然と電話をしていた。
他愛もない会話をして、むしろ彼の話を聞いたりしていた。
この疲れを癒してくれない会話でも全然良かった。だって声が聞きたかっただけだから。


全部が全部、無理がない。全部、自分のためにやっていると不自由がない。
期待をする、という思考回路がない。だから裏切られることも傷付くこともない。


30日会えて嬉しい、というのも前とは違う感覚。

お祝いしてもらって当然、という意識が全くない。
ただただ嬉しい。彼が私の為に時間を作ってくれるのは、本当に嬉しい。

そして、目標を達成した私と、その目標を達成することがどれだけ辛いか理解してくれている人と共にその喜びを共有できるのが、本当に素晴らしいと思う。




この5年半、私たちはお互いの短所で傷つけあい、お互いの長所で癒しあってきた。
だからこそ、相手が自分の短所と向き合って挑戦するというのは、何を言わなくても感じるものがある。

だから彼も、本当に凄いね!ってたくさん言ってくれる。
この共有感は誰にも分からないだろう。だから私は彼が良いんだろうな。


別に理解しあえているわけではない。お互い言葉にすれば思っていたより理解できていないだろう。
理解、じゃない。共有だ。

よし、あと2週間踏ん張るぞ。



そしていい30日を迎えてお寿司でお腹いっぱいにするんだ。

全ての喜び楽しみは「苦」の上に成り立っている。②

話が逸れて、しかもそれが長くなってしまった。。。。

本題の全ての喜び楽しみは「苦」の上で成り立っている。って話ですが。


まあ、そんな夢ばっかり見るから辛いんですよね。かなり。

通勤途中も、あ~なんか辛いなあ~「待つ」ってなんかかなり辛い。年内までがリミットだけど、そしたら私2年も結婚を待っていることになるのか。というか仕事していないときも2年待ったから合計4年一人の男を待っているよ。
4年か・・・大学終わってんじゃんか・・・とぼんやり思ってて。

あれ、待つならこんな待ち方じゃダメじゃない?と思ったのです。

ここからも話は流そう。でも大事な流れのところ。



私は、今年までは彼のことを待つって決めたんです。
あと半年くらい。でも、この待つ時間も彼のための時間ではなくて、紛れもなく私の時間。
だから、辛い辛いといつまでもうじうじしていないで、私の時間をちゃんと生きなきゃ!って希望がみえました。

辛さの限界にきたのかな。辛い=悲しい っていうのに、もう飽き飽きしてしまったのかも。
いままでは辛いと悲しいって思っていた。でも、辛いからもういいや!ってなることもできるんだね。


で、この辛さの絶頂だなっていうのを経験していて、ふと思った。
私、このままいくと幸せな結婚しかないわ。って。

結婚するかしないかでこんなに涙流して、胸が痛んだ。数値で言ったらマイナスがもう増えに増えている状態。

この数値がプラスになるときが結婚できる時として、その差は普通に結婚する時とは圧倒的な差になる。
誰かと幸せを比べるって話じゃない。私の中での幸せが違う。


この幸せの差は私にしか感じられない。
辛い経験をしたもののみが与えられる感覚だ。
それが喜びともいうし、楽しいとか、幸せとかいう言い方をするのだろう。


私が今感じているこの辛さは、後に経験するとんでもない幸せの為にあるんだな、と思う。

そう思うと辛いのもなんかいっか。ってなる。
不思議と辛いって感覚も薄くなった。


全ての物事は苦の裏に楽や喜がある。

表が楽喜ではないのかもしれない。

本来は表が苦。この「苦」をどれだけ尊重できるかが人間としての成長につながる。

全部が全部、楽しいことばかりじゃない。だってその表には必ず苦があるから。


だからみんな辛いことでも頑張っているんだよね。

私も頑張ろう。  まずは今日という日の仕事を終わらせよう。(6/14 14:50)

全ての喜び楽しみは「苦」の上に成り立っている。①

仏道の教えの一つです。

今日、また一つ実感を伴って気づきました。



最近、彼が結婚しようと言ってくれる夢を週1くらいで見る。
なんていうか、多すぎる。もう3回はみた。

しかも、 あれ、これって昨日あったことだっけ って思うくらいリアルなのだ。

ああ、夢だったのか、と思った瞬間に絶望する。胸が苦しくなる。虚しくなる。

そんな朝を週に1回は迎えています。
(なのに、毎日仕事に行って偉いぞっ!)


今日もまたみて、「でも現実の彼はこんなこと言ってくれないだろうな」っていつも通り落胆して、こんな日くらいちょっとでもぐっすり寝よう。
と思って二度寝を試みる。。。

が、やっぱり絶望感が拭えなくて、う~ん、う~んと軽くうなされて、、、




アーもうやめやめ!ってなった。そしてすぐに起きて準備して、今に至る。

あの瞬間、何かがはじけた。

ああもう何て下らないんだろうと。
結婚しようなんて言いそうにない彼のことを考えてヤキモキしたって、彼の気持ちは彼だけのもので。
私が何をしたって、彼を操作することはできないわけで。

もうそんなの、この1年間で痛いほどわかって。
それでも、私がしっかりしていればこの二人は何とかなるんだ、と思ってプロポーズしたけどやっぱりダメで。
そんな状態なのに別れを選ばない自分にはなんだか納得できて。

私ってこんなんでいいのかな、って何回も考えた。
彼ってなんでああなんだろう、って何回も考えた。


でも、全てどうしようもなかった。
別れられないことも、結婚できないことも全て事実だった。
私がどんなに頑張っても曲げられない事実だった。


どんなに頑張っても変わらないものに対して、何で変わらないのよ!って怒ったって、なーんにも変化がしないんですよね。
むしろ自分が望んでたものとは逆になる。これが怖い。


それは、ノンカフェインのハーブティーに、何であなたカフェイン入っていないのよ!眠いんだから協力してよ!
って言っているようなもので。



ハーブティーの良さの一つって、カフェインが入っていないことですよね。(入っているのもあるけど)
それを私の勝手で「眠いんだから」という理由をつけて罵っているわけです。

そして、罵られたハーブティーも「私はカフェイン無しで今までやってきて、あなたもそれを知ってるはずなのに・・・ぐすん」
となるわけです。うん、なるんです。
そうするとハーブティーも反撃に来るわけですよね。「私のことを否定してきたから」という一般的な理由をもって。


ただ、私はハーブティーが好きで、だから協力してほしかっただけなのに、返ってきたのは応援じゃなかったわけです。むしろ逆。



これ、あまりにも身勝手にみえるけど、、、私は彼に対して同じようなことをしていた。

彼が結婚を選ばない理由は本当はなんとなく分かっていたのに、それに歩み寄るのは怖くて目を瞑っていた。

私がなぜ彼を選んでるのか、なんて考えずに出来ないこと・持っていないものばかりを責めていた。

結果、結婚は出来ていないけど彼には感謝している。こうやって色々なことに気付いているから。

②へ続く

積み重ねという充実感

最近、なんだか割と幸せだなって思っている。
今日もエポスカードアプリにいる、エポス君?が「今日もしあわせいっぱいだね」って言っていて。

それをみて、「本当だね」って思った。

朝起きて、ああ今日も幸せだ、と思うことは生きていくうえでとても素晴らしいかもしれない。
自分にとってかなり良い事になる予感。


そういえば、叔母が「ああ今日も朝が始まったなあ。不思議だなあ、ありがたいなあ」と思うって言っていた。
うん。その感じと似ているのかな。

何年も月に1日以上は休んでいた私が、2月から6月末まで休まないと決めて、約4ヶ月弱くらい。
6月に入り、ついにカウントダウンが始まっている。

風邪をこじらせたり、お菓子食べ過ぎて太ったりと色々あるけど、目標通り一日も休まずここまで来れている。

嬉しい。誰のものでもない、自分が頑張った証がここにある。
一日一日積み重なっていくこの証は、私が「変わる」ことの象徴のような感じ。


毎日働く人は、そんなの当たり前じゃん、と思うかもしれない。

でも、私にとっては本当に特別なことだな。




そう思うと、なんだか反省をしたくなった。

私は今まで、家族友達恋人に自分の物差しでしか接していなかったな。


自分にとっては当たり前でも、その人にとっては特別なことだったかもしれない。
それを知ろうと思う前に、自分の意見を勝手に言って、傷つけていたかもしれない。

「そんなの当たり前じゃん」って言っていたかもしれない。
自分が今そう言われると、胸がうぐぐってなる。
「それが特別なんて、あなた私より下ね」って言われている感覚になる。


最近、自分がどう思うかより「それは相手にとってどういうものか」を良く考えるようになった。
今までは、自分が思ったことを素直に伝えることが良い事だと思っていた。それが正しいことだと。

それはそれで良い事かもしれない。
でも、相手の気持ちや想いを理解する前に主張してしまっていた。

それは、余裕がない、ということ。
それは、認めてほしい、と言う承認欲求の気持ちが強いということ。


今はきっと、自分で自分を癒せてあげられている。誰よりも自分を褒められている。
だからこそ、相手の気持ちも考えられるようになったんだな。

嬉しい成長に今日もまた気付く。幸せ!

整体師さんが我が家にきた

月曜日の夜、全然全然興奮して寝つきが悪かった。


日曜日、整体師さんが我が家にきた。
両親(主に父親)をみてもらった。
なんだかたくさんの事を感じすぎたし気づきがあり過ぎてとりあえず頭がパンパンなのです。


しかも、偶然にも博多から叔母家族がきていて、整体師さんは総勢5人もみてくれた。
一人分の料金しか払っていないのに。。。。
大サービスしていただきました。
叔母たちはまた別日に施術に行くみたいだから、整体師さんとしてもお客さんが増えたということでよかったです。


この6/4に起こったことがあまりにも多すぎて、忘れていきそうだよ。



でも、一つ一つ凄く意味があって、一つ一つ丁寧に自分がどう思っているのか分析していきたい。
こりゃ時間がかかるなあ。


今、思いつく限りを箇条書きにしていく。



・彼が、あんな状態だったのに妹の結婚式にきた意味、がやっとわかった。

・お父さんはお母さんを悲しませる敵、と私はみていた。(無意識に)
・敵だと思いたくないという矛盾が「お父さん大好き」になっていた。
・母より父のほうがストレス値が高かった。しかも整体師さんがみてきたワースト1位
・父は頑固親父ではなく、素直な天邪鬼 な性格みたい。意外と可愛い。という見方ができる。
・母親は超頑固

・叔母が最高の人生の先輩だった。私が向き合っていることとほぼ同じことをしていてびっくりした。

・28歳でこういう事に気付けるって凄いかもしれない。

・うちの親戚はみんな「自分より相手を優先する人」だった。これによって生まれる負の連鎖をしっかと断ち切る必要があるのかもしれない。

・もう、私は自分を癒すことから他人を癒す方向に向かっているのかもしれない。まずは家族から。

ダウン症のお姉ちゃんが家族の「負の業」をもらってくれている

・周りに彼の話をすることで、彼との関係がよくなっていることがようやく実感出来てきた。

・母親は少し論点のずれた話ばかりする。(承認欲求が強い)

・整体師さんの宿題の二極化を基に物事を考えない、という事がどういうことか分かってきた。


今後はこの事について書いていきたいな。
 

頑張らなくいい。だってそれでもそばにいるから。




って言いたいです。彼に。

最近、俺がどれだけ凄いか、という話が多い。

誰だって、自慢したいことはあるだろう。
でも、「俺って素晴らしいんだ」って本当に何回も言っていて。

割とうんざりしている。

頑張っていることは素晴らしい。
2年間仕事をしていない間、「早く仕事に行けよこのニート!」と罵ったこともある。

頑張っていることは私の念願なのかもしれない。
だから、自慢できることが彼に出来たというのはとても嬉しいと思う。


でも、なんだか違和感がある。
「俺は素晴らしい」「俺の周りにいる人は素晴らしい。それは俺だからそうなる」

とか、そういう発言、全然彼に似合わないんだよな。
そう、似合わない。

もっと謙虚でいてよ!という怒りも前はあったけど、今はそういうんじゃなくてもやっとした違和感に変わっている。
いや、いいんだよ、自慢したい時だってあるしね?でもね、なんかあなたらしくない気がするんだよなあ。っていう感じ。


何だろう、この違和感、文章にしようと思うとどうも引っかかる。
う~ん、彼にこの気持ちを分かってほしい、という思いがあるからかな。
「どうしたらそうだねって言ってくれるか」的なことを頭で考えるからだろうな。

いや、このブログは私のブログ。彼がどう思おうが関係ないよね。


しいたけ占いのブログを読んでて、「人は社会にいると強くいなければいけない」みたいな内容があって。

本当にそうだな、と思った。
仕事でも、人間関係でも自分がどの位置にいるか、どの順位にいるかずっと気にして生きている気がする。
それは、置いてかれたくないから。孤独になりたくないから。無視されたくないから。


こういう人の弱さが、怒り妬み嫉妬不安とかのネガティブ感情を出しているんだと思う。
そして、承認欲求がとても強くなる。

そしてそれが満たされないとまた新しい怒りが発生する。


今はそんな世の中だと思うんです。



彼の場合、親への強い承認欲求がある。
そういう観点でみると、私にしているその自慢話をする行為は当然なのだと思う。

・・・・当然なら許すか。
でも、また同じように人を馬鹿にした発言をしたときははっきり「そういう話は聞きたくない」って言おうかな。


とにかく、そういう話をするよりも、私の前ではだらーんとしたあなたでいてほしい。ってこと。


最近、彼のことを考えるけど、最終的にまあどうでもいいか、とか思ってしまう。
自分がいいならもういいかなって感じ。

相手の良さを素直に感じる

先週の火曜日か水曜日に彼と会った。(どっちか思い出せない)

久しぶりに。

1時間位したら帰ろうね、って言ってたんだけど結局2時間半喋りまくって家に帰った。
私は、この2時間半で自分の変化をすごく感じた。

でも、2時間半の間に気付いたんじゃない。
思い起こして、あれ、こう思うことって今までなかったかも・・・
とか、別の日に電話をしても、あれ、私今までと違う感覚をもっているかもしれない・・・

って気付く感じです。

まずは、「彼にとって私はどんな存在なのか」というのが気にならなくなってきた、ということ。
蒲田にいた、私が彼の帰りを待ち続けていた頃。
私は、「彼の話をきくのは私の仕事」だと本気で思っていた。

だから、彼に嫌なことがあっても嬉しいことがあっても、私が全部聞きたい、それこそ私の生きる糧。くらいに思っていた。

そうなると、彼が私だけではなく、誰かに弱音を吐いたり相談したり、逆に嬉しいことを報告しているのをみると本当に嫉妬した。
そりゃそうだな。私の居場所がなくなる、って思うよ。焦るよね。そりゃね。


久しぶりに会った日、彼は調子がかなり良いらしく、ずっとニコニコニヤニヤして、しまいには「話したいことがあり過ぎて爆発しそう」とか言っていた。
これを聞いたとき、純粋に嬉しかった。まあ久しぶりに会ったしね~とかって思っていた。

でもね、これね、前だったらね。
「ほら!もうそんなに私のことを必要としているなら、やっぱりわたしといる事があなたにとっては良いことなんじゃない!だったらその保留にしている結婚の話とっとと進めようよ!(ちょっとイライラしている)」
くらいに思っていたし、もしかしたら彼に伝えていたかもしれない。

今思うと正直怖い。じぶんが怖い。でも、そう思ってたんだよなあ。


今はというと、純粋に嬉しい気持ちと、彼の嬉しそうな顔をみて癒されている自分と、エネルギーをもらっている自分がいた。
そして、きっと彼は周りにもこんな風に話しているんだろうな、ってなんとなく思った。そうしている彼の姿は魅力的だなあ。とかって思っていた。
(ちょっと寂しいけど、これが彼の良さなんだよなって感じ。)

この差、すごいよ自分。
やばい。

今、自分にすごく感動している。自分のことが今すごく好きだ。

どういう差なのか、うまく説明できないけど、とにかく圧倒的な差を感じる。
彼の魅力はこれだよね、って素直に言える自分、最高である。

それを独り占めしたい、ではなく、周りにそれを広げていって彼の世界も広がったら、きっと彼はすごく喜ぶなあ。
そんな顔をずっと見ていたいなあ。

という穏やかさ。素晴らしい。

独り占めしている優越感より、ハッピーでピースフルだ。