倦怠期を乗り越えて
ここ1ヶ月くらい、つくし君と「倦怠期」でございました。
ここ数日でやっと戻ったし、その倦怠期を越えてさらにパートナーとの絆は深くなっています。
いや、正直、本当に別れると思っていました。
この1ヶ月、ほとんど毎日「別れたらどうなるかな」とそればかり考えていました。
この1ヶ月で関係は悪化しました。でも、思えば7月の誕生日が終わった辺りからおかしかったと思う。
3月に付き合いだしたので、約3~4ヶ月目のことですね。
うん、よくあるパターンに入っています。
まず、最初の方はちょっと気に入らないことがあると「それ嫌だ」と言うくらいだった。
でも、だんだん色々なことに「気にくわなく」なってくる。
気になるとか目につくとかそういう言い方じゃなくて、気にくわないのだ。
つくし君が着ている服、背負っているリュック、スニーカー、帽子・・・
たぶん最初は外見のことに対して気にくわないことが多くなった気がする。
そして、それは以前から言っていたことだったけど、言い方自体がとてもきつくなってしまっていたと思う。
そうだよね、だって気にくわないんだもん。なんだかムカつくんだもん。
で、その後はつくし君の言う言葉や考え方に敏感になった。
よく、私たちは色々な自分の話をするけど、つくし君が「こう思うんだよね」というところを「いや、そんな考え方しない方がいいよ」とか否定から入ってしまう。
いつもならそんなことしないのに。つくし君も優しいから笑っていたけど、そりゃ気持ちよくないよね・・・
そのあと、私に対する接し方が気にくわなくなってくる。
なんでそこで手を繋ぐの?
今触る雰囲気じゃないし。
いや、ていうかなにもかも強引で嫌なんですけど!!!
こうなると、もう最終的な悪化状態。
キスされるのも嫌になってしまった。
ついこの前まではあんなにラブラブだったのに・・・
私はショックだった。本当につくし君のことが好きなんだろうか。好きじゃないからキスしたくないんだろうか、好きなのになんでキスしたくなくなるの?
と自問自答を繰り返し・・・
つくし君にそんなことを相談できないから、結局「拒否をする」という行動で伝えることになってしまった。
つくし君もショックを受けていたし気まずかった。
でも、旅行の計画をなぜかしていた。
もうキャンセルもできなかった。
今思えば、いつもならダブルベッドだったけどそのときは和室で2組の布団で寝られてよかったかもしれない。
私たちふたりがこの倦怠期に向き合えたのは、この旅行にいく前日だ。
つくし君から電話があったのだ。
「ーちゃんといるとモチベーションが上がらない」と。
私はショックだった。つくし君から私に対してネガティブなことを言われたのはこれが最初だった。
君といてもつまらない、という意味だったから、その時は悲しかった。
その電話で、私も色々なことを伝えた。
どうしてそうなっているのかも分からないこと、別れた方が良いと考えていること、今までつくし君が私のために、としてきた行動すべてが重たいと思うこと。
この最後の「つくし君が私のためにしていること」がとても厄介だった。
つくし君は、本当に色々なことをしてくれた。
前向きな言葉もたくさんくれた。前向きな言葉がたくさん書いてある本もかしてくれた。
心配もたくさんしてくれた。
私が良くなるように、とたくさんのことをしてくれた。
最初は嬉しかった。だって愛されているなあと思ったから。
私は愛する側ばかりだったから、愛されていて、たくさんわがままを言っても何一つ嫌な顔をしないつくし君が大好きだった。
でも、3ヶ月が過ぎた頃、なんでも私の言う通りにするつくし君が嫌になってきた。
私のために、と毎朝前向きな内容の長文メールを読むのも本当に鬱陶しかった。
返信が面倒だなあと思っていた。
同じ行動をしているのに、だんだんと違う気持ちになってくるって不思議だ。
でも、私はとても好きだったものが段々嫌いになっていたったのだ。
私は、ここでこう思う。
「つくし君がやっていることは私を好きだから大切に思っているからやってくれていることなのに。この善意しかないことをどうして私は嫌だと思うのだろう。悪意なんて1ミリもないのに、なぜ嫌だと思ってしまうんだろう。」
私は自分を責めた。こう思ってしまう私がダメなんだ、と思った。
でも、これはつくし君とたくさん話すうちに分かることだけど、つくし君がやっていた善意のある行動すべては、つくし君の自信のない自分を隠すためにやっていたものだったのだ。
つくし君は相手を肯定する力が強い。なぜなら、自己肯定力が薄いからである。
なにかしていないと、自分は愛される人間ではない、とどこかで感じていたのだと言う。
これに気づくことが、この倦怠期を乗りきれたキーなのかもしれない。
私にとって良いことをしていないと私に愛されない、と思っていたのだ。
一方、私はその良いことを受けるばかりだったから、本当の自分と繋がっている感覚が薄かったのだと思う。
だから、「本当に好きなのかな」なんて思っていたのだ。
パートナーとは、なにもしていない自分同士でどれだけ繋がれるかが大事だ。
この倦怠期を乗りきって本当にそう思う。
私も、つくし君のように彼の時は尽くして尽くして尽くしまくって、それの見返りがないととても不安でさらに尽くしたのだ。
それは私が自分を愛していなかったから。自分は愛される人間なのに、愛されるために頑張らなきゃと思っていたからだ。
今は私は自分をとても愛しているから、そんなことはしなかった。
だから愛される側、になった。
この倦怠期で感じたことは愛されること、求められることは愛すること求めることより辛いな、と思う。
愛されたかったから愛した。尽くされたかったから尽くした。
でも、愛されても尽くされても時間が経ってこれじゃないと気づいた。
ずっとほしかったものは、実はいらないものだった。
これに気づいたときは衝撃だったなあ。私のパートナーのあり方の考え方が一気に変わった。
こんな感じでとても気付きのある1ヶ月、3ヶ月でした。
本当につらかったけど、別れなくてよかったな。
今はつくし君が私のそばにいてくれることにとても安心感があります。
それがあるから、私は自由に行動することができる。
そう思えて、本当によかった。
大変だったね
私は、心の底から今の彼と一緒にいられることに感謝している。
実は、最近までこの彼でいいのだろうか、もうこのままだと別れた方が良いかもしれないな・・・
と思っていた。
なんだか、彼が私に向ける好意すべてが嫌になってしまったのだ。
メールが来たり、電話がきたり、心配されたり、私の言ったことにいじけたり、触ったり手を繋いだり、彼のあのまっすぐな目線さえも。
すべて嫌だった。放っておいてほしかった。
でも、彼が私に向ける好意のなかに、「悪」がないのだ。「善」しかない。
そうすると、断ることがとても「悪」のように思えて、そういうモヤモヤを言うことができていなかった。
でも、突然昨日それを伝えることができた。
伝えて、一緒に話して、私はそれだけでスッキリして、今こうしてブログを書いている。
私は、自信がなかった。
彼の好意を受けとりたくないってことは、私は彼のことが好きではないのかもしれない。
いや、”あの彼”がまだ大好きで本当に愛している私は、今の彼と付き合うことはやっぱり無理なのかもしれない。
だから、別れた方がいいのかもしれない。
ああ、あの彼じゃなくても、こういう人と付き合ったらもっと違うのかな。とか、他の人のことさえ考えた。
私は、1ヶ月くらいずっとそんな感じで悩んでいた。
その間に、何回か一緒に夜を過ごしたけど、嫌だった。本当はしたい気分になっていなかった。
我慢していたし、もっとこうしてほしい、なんて言えなかった。彼は彼で、一生懸命私を求めていた。
私はずっと追いかけられていた。
私はそれにどんどん疲れていっていた。
きのう、彼から連絡があり夜電話をした。
「ーちゃんといるとモチベーションが上がらないんだ」と言葉を振り絞って言われた。
私は、それを聞いて本当に「面倒だな」と思った。
心の底から、この人とやっていけないな、ああもう終わりなんだな。と思ったのだ。
この、夏が過ぎてすこしひんやりする雨が降る日って前から苦手で、なぜだか直感で「こういう天気に嫌なことが起こるんだよな」
なんて思ったりもした。
私の心が一気に怒りに支配されたので、一旦電話を切った。
こういうところは、あの彼の時よりは成長しているのかもしれないな。
彼から、モチベーションが上がらない、といわれて、面倒だと思うと同じくらい、ショックを受けていた。
私のことが大好きな彼が、私といることが良くないと思っている。。。
すこし甘えていたのかもしれない、と思った。
それを反省すべく、一旦電話を切っている間にノートに自分の気持ちを書いた。
こうやってブログを書くみたいに。
でも、出てくるのは反省とか、彼のために考えることではなく、
私が今まで思ってきた、モヤモヤばかりだった。
別れたい、とずっと思ってきたこと
他の人との未来の方が明るいような気がすること
触れる手や目が、嬉しいはずなのになんだか嫌だと思うこと
これは本当に勇気がないと伝えられなかった。
すべて彼を傷つけてしまう言葉だと思ったし、「じゃあ俺はどうすればいいの?」とか「じゃあ別れるってことなんだね・・・」とか
もう返答に困ってしまう反応が来るかもしれない、それもそれで面倒だな・・・とすごく冷めた感情が出てきた。
また電話がきて、私は話はじめた。
彼は私の話を本当によく聞いてくれた。まあいつもそうだけど。
話終わると、彼は「そうなんだね」とだけ言った。
それだけだった。
私はたまらず、どう思っているの?ときく。
彼はああそうだね、みたいな感じで「それは大変だったねえ」という。
また、これだけだった。
私が思っていたような面倒なことにも、私を攻める感じにも喧嘩にもならなかった。
そうだ、彼ってこういう人だった。
と拍子抜けしてしまった。
本当に変な人だ。
私の言葉を本当に信じているし、何をいっても「ーちゃんだし大丈夫だよ」と言い、どんなに喧嘩になりそうなことを言っても「そうかあ」としか言わないのだ。
これが、私が重要なことであると感じれば感じるほど、そういう彼が大きくでてくる。
✳✳✳
私は、あの彼と付き合っているとき、「私が思う理想の彼になってほしい」と思っていた。
それは、私のことを本当に愛していて、何よりも私を優先してくれて、お金も私とのことに多く使ってくれて、いつでも会いたいと言ってくれて、
私との将来を考えていて、こうしたいねって私にたくさん言ってくれる人・・・
実際、今の彼はそんな人だ。
私は「理想の彼」を手にいれた。
でも、手にいれた瞬間、そんな彼が嫌になってしまった。
私に向ける好意すら、嫌気がした。気持ち悪いような感じもした。
1年くらい前に理想だったものが、全く真逆の状態になってしまった。
前に思っていた私の理想は、「あの彼がしてくれない」と不満に思っていること
というだけだった。
追いかける側から追いかけられる側になりたかった。
求める側から求められる側になりたかった。
愛する側から愛される側になりたかった。
今、そうなっているけど、私は満足していないし、むしろ不幸な気分になっていた。
ほしい、と思っていたものが実はほしいものじゃなかった。
なんて不思議だろう。だったら、今ほしいと思っているものも実はほしくないのかもしれない。
そんなことがこの世でたくさんおきているのかもしれない。
ほしいものが手に入らないことの辛さを私は知っている。
ほしいものが離れてしまう悲しさも私は知っている。
でも、本当にほしいものってないのかもしれない。
そう思うことが本当に多くて、人間って不思議だな、と思うのだ。
こういう状態になりたい、と思ってそれが手に入っても、今の状態が不安と不満だらけなら自分の状態は変わらないのだ。
これって真理なのかも。
この一件で、私たちはまた関係が深まった気がする。
あなたの好意で嫌な気分になるの、と言ったのに「それは大変だったね」とだけ言える彼の心はどれだけ広いのだろうか。
立場の逆転
最近、よく気づく事がある。
私が思っているよりずっと、彼は私のことが好きだったんだな、と。
今付き合っている人は、私をすごく好きでいてくれる。
いつもデートや旅行に誘ってくれるし、大好きだ、可愛い、といつも言ってくれる。
愛されている。
でも、去年までの彼と過ごしてた時間、私は愛される立場じゃく、愛する、追いかける立場だった。
今、追いかけられる立場になって、彼との日々を思い出す。
私は今、あの時の彼の気持ちを体験している。
追いかけられる立場の方を初めて経験している。
追いかける立場の時に不満だった行動を、私は今の彼にしている。
でもそれは、今の彼が好きだからこそだ。
そう思うたび、ああそうか、あんな風になっていたのは私を愛してくれていたからなんだな、と彼のことを思い出す。
その時の私は愛してほしい、認めてほしいとばかり思っていて、彼の気持ちなんてどうでもいい、という思考だった。
あの時、もっと彼を信じられる器量が私にあったなら違う未来になっていたんだろうな。
でも、今の現実は好きだから、これで良いのだ。
彼は別れてもなお、私に愛を教えてくれる。人生の気付きを与えてくれる。
気づく事の充実さを感じさせてくれる。
ありがとう。
愛されたいとばかり思っていた私を、たくさん愛してくれてありがとう。
あなたが頑張ってくれたから、今私は愛に気付くことができています。
今の彼と、生涯一緒にいることになると思うけど、私は彼を一生涯、愛するのだろう。
彼の愛に気付けるから、今の彼も愛することができる。
将来、私達が住んでいるお家に彼を招待してお酒でも飲みたい。
それが最近の夢。
今ここにいるということ
わたしは今、家にいる。
慣れたお風呂に入り、一息ついている。
私には今、心の底から信頼できる人がいる。
別れた彼を今でも想えている。
私は今、寂しくはない。
私は今、生活に困っていない。
私は今、何も心配される事はない。
そんなキセキを心から感謝しています。
自分が自分を大切に出来た事、嫌なものは嫌だと言えたこと。
帰れてほんとうにホッとしている。
色々な思いがあるけど、今は単純にホッとしている。
今の彼と付き合って約5ヶ月。
私は彼をとても好きなんだろう。
本当に本当に一点の曇りもなく、信頼しているのだ。
この事に気付けて、今、私はここにいる。
それはとてもとても、私がこれから生きていく中で重要な事なんだと思った。
そして、高野山に母なる魂があるのだと思っている。
母はいつも私の事を想い、気遣っている。
わたしは来月、そこにいく。
母なる魂に会いにいく。
これはただの直感。
1年前のあの日
最近、Amazonのタブレットで2012年2014年の同じ日に撮った写真はこれですよ!という通知をちょこちょこ見ている。
今まで無視してたけど。
2012、2014年はばっちり彼と一緒にいる時期。
写真であの頃の日々が蘇る…って時間が少し増えた。
だからなのか、ああ、1年前はこんな状態だったなあ、としみじみ思う時があります。
あの頃は怖れに支配されていて、そこから抜け出すことも出来ず。
朝動いてくれない身体を悲観して、自分を責めて。
仕事に行けない自分を責めて
彼に選ばれない自分の至らなさを責めて
そこまで彼にこだわってしまう自分を責めて…
とにかく自分を責めていた。
不安を誰とも共有せず、というか不安は誰かに言っちゃダメなものだと思ってた。
自ら孤独になり、自ら自分を責め、自ら可哀想な自分でいる事を選んでいたあの日から1年。
つくし君という彼氏が1ヶ月くらい前に出来、去年の11月に出会ったばかりなのにすごい濃密なパートナーシップを築けている。
今まで、友達期間が多くないと好きになれないのわたし。
と思っていたけど、出会って2ヶ月の時点でもうこの人と付き合いたい!ってなってたなあ。
彼と別れて2週間後に(笑)
そんなこともあるんだなあ。
そんなつくし君は74ちゃんと不安を共有できることが本当に嬉しい。
と言ってくれる。どんな不安を言っても「言ってくれてありがとう」と言う。
そんなつくし君を心から尊敬してるし、安心できる。
一年前のあの日、わたしは選んでもらえない苦しみの闇にいた。
一年後の今日、大好きなつくし君とのデートが楽しみで仕方がない。
こんなにも私の中も外も変わるんだなあ。
!!!!
なんと、新しい彼氏が出来ることに。
なんと、彼のとっても仲の良い子と。
来週、彼にその子が報告したら付き合うのです。
人生って分かんないなあ。
変革期って、こういう事なんだなあ。
次の10年の始まり
らしいです。
しいたけ占い、、、こういう区切りのタイミングで心に沁みます。
本当にそうだな、と思う。
この10年、パートナーに捧げた10年だった。見返り付きのね。
捧げるだけなら、いいんだよ。
私は自分の捧げられる範疇を超えるくらい捧げた。
だから、「これだけしてるんだからあなたもしなさいよ」ってなったのです。
この10年間で付き合ってくれた人、本当に追い詰めてしまったと思う。
この前別れた彼は、「それじゃあダメだ」と諦めずに6年間言い続けてくれた。
本当に優しい人だと思う。
本当に、本当に感謝なのです。
今まで付き合ってくれた人に感謝しつつ、次の10年の開始です。
とりあえず、身体を動かすところから始める。
まずは健康を考える。
自分の身体を大切にする。