全ての喜び楽しみは「苦」の上に成り立っている。②
話が逸れて、しかもそれが長くなってしまった。。。。
本題の全ての喜び楽しみは「苦」の上で成り立っている。って話ですが。
まあ、そんな夢ばっかり見るから辛いんですよね。かなり。
通勤途中も、あ~なんか辛いなあ~「待つ」ってなんかかなり辛い。年内までがリミットだけど、そしたら私2年も結婚を待っていることになるのか。というか仕事していないときも2年待ったから合計4年一人の男を待っているよ。
4年か・・・大学終わってんじゃんか・・・とぼんやり思ってて。
あれ、待つならこんな待ち方じゃダメじゃない?と思ったのです。
ここからも話は流そう。でも大事な流れのところ。
私は、今年までは彼のことを待つって決めたんです。
あと半年くらい。でも、この待つ時間も彼のための時間ではなくて、紛れもなく私の時間。
だから、辛い辛いといつまでもうじうじしていないで、私の時間をちゃんと生きなきゃ!って希望がみえました。
辛さの限界にきたのかな。辛い=悲しい っていうのに、もう飽き飽きしてしまったのかも。
いままでは辛いと悲しいって思っていた。でも、辛いからもういいや!ってなることもできるんだね。
で、この辛さの絶頂だなっていうのを経験していて、ふと思った。
私、このままいくと幸せな結婚しかないわ。って。
結婚するかしないかでこんなに涙流して、胸が痛んだ。数値で言ったらマイナスがもう増えに増えている状態。
この数値がプラスになるときが結婚できる時として、その差は普通に結婚する時とは圧倒的な差になる。
誰かと幸せを比べるって話じゃない。私の中での幸せが違う。
この幸せの差は私にしか感じられない。
辛い経験をしたもののみが与えられる感覚だ。
それが喜びともいうし、楽しいとか、幸せとかいう言い方をするのだろう。
私が今感じているこの辛さは、後に経験するとんでもない幸せの為にあるんだな、と思う。
そう思うと辛いのもなんかいっか。ってなる。
不思議と辛いって感覚も薄くなった。
全ての物事は苦の裏に楽や喜がある。
表が楽喜ではないのかもしれない。
本来は表が苦。この「苦」をどれだけ尊重できるかが人間としての成長につながる。
全部が全部、楽しいことばかりじゃない。だってその表には必ず苦があるから。
だからみんな辛いことでも頑張っているんだよね。
私も頑張ろう。 まずは今日という日の仕事を終わらせよう。(6/14 14:50)