必要なのは“喝”ではなく“愛”でした
彼と会ってきました。
何と言うか、色々ありました。
色々あって、その分色々感じて、新しいことも、再認識したこともありました。
とりあえず、寝不足です。(8/18)
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彼は物凄い優しかった。いや、知っていたけど改めて実感。
私がどれだけ疲れていて、どれだけ癒しを求めているのか分かったようだった。
結局、彼が癒してあげたい、と言ってくれ、少し時間の無理をしてホテルに泊まることになった。
(最近禁煙の部屋を見つけて、完全に普通のホテル・・・より全然広くて最高。)
彼は奉仕スイッチが入ると凄いな、と改めて思う。
自分もかなり疲れているのに、私に何かしてあげたい、と思ってくれる。
そこに深い愛を感じました。
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今回、辛すぎて彼にヘルプを出した。
この行動って実は私の成長の証だと思っている。
彼への執着がなくなりつつある今、一番壁になっているのが
「彼の負担にならない自分でいなければいけない」
ということ。
以前の私は、
パートナー中心で思考し、行動している自分でなければ存在価値がない、くらいの呪縛と、
私の全部を受け止めてくれなきゃパートナーじゃない!っていう傲慢さがあった。
自分にも相手にも無理のある要求をし続けた。それが正解だと思っていたから。
てかそれしか知らなかったから。
心を患って不安と戦う彼に、「もっとこうしてくれなきゃ嫌だ!」という傲慢な感情をぶつけることは、彼の負担となった。
そして、パートナー中心の精神が彼に負担をかけてしまっていることが受け入れられなかった。(負担かけたくなくてやっていることだと信じていたから)
私の存在を負担だ!と訴える彼の姿は、余計に私を苦しくさせた。
だから、自分勝手な感情を伝えたい!伝えてこそ良い関係だ!という気持ちと、彼のために我慢しなくてはいけない・・・という気持ちがごちゃ混ぜで、あの頃は自分の気持ちをどう伝えても裏目に出た。
怖かった。どうすればいいか分からないから、自分の信じた形で伝えてみるけど、その形はどれも自分勝手なもので相手には全て負担となった。
距離をおき、その間にも色々ある中で、
少しずつ、「私は私のままでいいだ」と思い始めた。
そして、どんどん彼への執着が薄くなっていった。
このどうしようもない苦しさも今はない。
☆パートナー中心でいることは、得意だと思っていたし使命だと思っていたし、彼に対してこう尽くせるのは私にしか出来ないことだ、と思っていた。
でも、全然得意ではなかった。
むしろ、私は自由を欲する人間だった。彼のことを優先して自分らしくいられないことはとっても辛いことだった。
だからもうやらない!というわけではないけど、もうそれを優先する自分だと、元気がなくなることが分かった。
☆私の全部を受け止めなきゃパートナーじゃない!という思考は、いや、全部なんて受け止められないでしょ。
と思うようになった。
それよりも、私の全部を見ても無視するところは無視してほしい、と思っている。
受け止めるか受け止めないか、の話じゃなくて、気にしないでいてくれるか、気にして干渉するか、というのが重要な気がする。
何でもかんでも受け止めようと思うと、自分の許せないところも受け入れなきゃっていう呪縛が出来てしまう。
違う人間なのだから、受け入れられないことが大なり小なりあるはずで。
それをずっと気にして生きていくなんて絶対に嫌だ。
お互い自由のある関係、それで今回みたいにヘルプ!ってなったら助け合えるよな関係でいたい。
あと、マダニに噛まれて死んでしまうかもしれない、って初めてリアルに想像出来たことも、良かったな。
生きていればとりあえずおっけーだよな、って色々ゆるしたくなった。
まあ、こう書いているけど、実際今、ある事があって自由じゃなくなっていて悲しくなっているけどね。
その話はまたこんど。
負けへん!