1月18日
本日はサボり日。
会社はちゃんと行きましたよ。
ポテチ多量に食べた。
そしてご飯も普通に食べる。
でも、前とは違う。
今はこうやってブログを書いている。更新したら、お風呂にさっと入ったら呼吸をして、もー眠い!ってなるまで煩悩について勉強をする。
因みに、今までだったらスマホで動画を1時とかまで観て、あーあ明日も仕事かなんてイヤイヤ思いながら眠りにつく。
絶対そういう時は嫌な夢を見るんだよな。
そういえば、今日はとても幸せな夢を見た気がする。
内容は忘れてしまったけど。
今日一日過ごしてきて、ふと気づいたことがある。
完全に、彼を思い出して苦しくなる時間が減っている。
自分のことを考える時間が増えている。
それに彼のことと言っても、彼といた時の自分、を考えている。
これが私にとって良い傾向なのだと思う。
相手がこう思っているかもしれない。
私の場合だと、もしかしたら彼が別れたいと思っているかもと考える。
まだ別れると決まったわけじゃないのに。
もし仮に、別れが来るとしても。
今日この今。この時間にそれを考えるのは本当にもったいないことだと思う。
私が今考えるべきは、今この時間をどう使ったら自分らしいか。
どうしたら自分が至福と思えるか。
ポテチも食べてしまったし、実はちょっと気持ち悪かったりする。
でもそれはもうやってしまったこと。
(ポテチを食べて動画を見始めたら途端にネガティブな感情がでてくる。ふと気がつくと彼を思い出して悲しくなっている自分に気づく。それを救うべく今ブログを書いている。という経緯もあるのだ)
そこから這い上がるか、甘んじて停滞するかは自分次第である。
私はこうやってブログを書いている時間は何にも邪魔されず自分と向き合うことができる。
ブログが書き終わる頃には、頭の中がスッキリしていて、明日の活力が湧いて来る。
これも一種の自分の救い方なのだ。
日曜日に彼と電話でケンカというか話し合いをし、会った。
そこから1日半、辛かった。
もう今日会社辞めても良いなと思った。
今日彼に電話で別れを切り出そうとか考えていた。
つまり、投げやりになっていたのだ。
そこから這い上がった。
這い上がれた。
そんな自分が誇らしい。
今までの自分ではない自分が生まれている。
日々、いろいろなことに気づいて、一日一日成長している。
そんな自分の心に感謝して、今日も穏やかに寝よう。
では、さっとお風呂に入りますか。
1月17日
今日はなんとか会社に行った。
みんな、あの派遣休みすぎだよ…という目をしている。
本当に帰りたかった。
夕方前、いきなり仕事をするのが嫌になった。
何にも面白くない、というか単純にやりたくない、と思った。
仕事には必ず意味と価値がある。
どんなにつまらない仕事でも、やりがいは自分次第で見出せる。
そう思う。
でも、もうやりたくないなとシンプルに心が思っているのに気付いた。
守ることしかしないサラリーマン。
悪意をさらけ出すおじさん達。
そんな中で仕事をして、私は何になりたいんだろう。
そんな人に囲まれて仕事をしたくない。
でも、安定的な収入はありがたい。
体調を崩しても、フォローしてくれていて、何事もなかったかのようにまた働ける。(業務的にはね)
そんな環境があるのはありがたい。
日本だから、こんな安定した仕事ができる。
ありがたい、ありがたいよ。
でもね、忙しくないのに業務量を増やしたくないと守りに入ったり、上司の言うことだけ素直に聞いて、それを自分がさも言ったかのように振る舞う人だったり。
たくさんたくさん違和感があって、それを感じるたびに辛いのだ。
守る時があっていい。その人の事情だってあるだろう。
でも私はいまそういう人と一緒にいたくない。
でもすぐ辞められる訳じゃないから、しばらくは頑張ろうと思う。
明日はなんだか面談があるみたいだし。
(絶対に理解し合えないとわかっているのに、自分の何かを伝えなきゃいけないのは辛いね。)
でも、これだけ辛いなと感じで、自分がどこに行きたいか再確認できた。
私はいま勉強している加藤さんの呼吸法をマスターして、人に癒しを与えたい。
呼吸法を広める事をしたい。
そのためには節約して、煩悩で支配されている自分を解放してあげて。
とにかく呼吸の勉強と煩悩と戦う事が私の今やるべき事だと思う。
今のこの職場に、ずっといる訳じゃない。あの人たちとずっと一緒にいる訳じゃない。
だったらどう思われてもいいから、私が今やるべきことに集中しなければ勿体無い。
状況は日々移ろいで行く。
諸行無常なのだ。
その中で、自分はどう生きたいか。
見失って、その環境に依存してしまうことが、自分自身に一番の罪となる。
周りの人に愛されたい、認められたい。
そんな欲求は誰しもある。
どんなに嫌な場所だって、そこに自分がいる限り、周りの人に認めれられたいと思うのだ。
それが人間の弱さであり、一種の支え合う原動力でもあるかもしれない。
でも、人の生き方は様々。
その場所にいる、例えば偉い人や上司のように生きることが正解ではない。
生き方は自分で決める、自分で見つける。自分で探しに行く。
それをし続けないと、このスピード感ある世間に飲み込まれてしまう。
大事なのは、自分がどうしたいか、
どう生きたいか。
私はまだみんなに発表できるくらいの自信がない。
だからこそ、回数を重ねて経験して勉強したい。
今やるべきことはそれだけなのだ!
そう思ったら、今まで何が辛かったんだろうってくらいいろいろ忘れてしまった。
明日から元気に仕事に行けそう。
あの場所が自分の居場所じゃないと認識したことで、仕事場の人に好かれたいという煩悩が消えたんだな。
ありがとうございました。
1月16日
今日は会社を休んでしまった。
昨日彼に会ったからである。
やっぱりまだ会うのは早かった。
というか、症状が明確化してきている。
自分の体が自分の心に素直になっている。
誤魔化したり、強がったりはもうできないな。
だって体さんが「心さんはこう言ってますよ!」と訴えかけてくる。
それは、会社に行けないほど強く。
朝は本当に体に力が入らなくて、起き上がるのもやっとだった。
結局今日は夕方くらいから起きて、夕方に食パン3枚と目玉焼きとカレーとウインナー5本も食べてしまった。
休んでしまった自分と向き合いたくなくて食欲に走ってしまった。
今は胃薬を飲むくらい胃が痛い。
この夜深い時間、やっとこうやって向かい合うことができた。
たくさん寝たし、今日はいいだけ起きていよう。
でもその間はスマホで動画見たり、無駄にゲームをしないこと。
彼に会っただけでこんなに影響されてしまう自分。
それが現実である。
そんな自分がとても恥ずかしいし、泣きたくなるけどこれが今の私である。
彼とのことで何かあって、それを影響させている人を見ると、だらしないなと思う。
自分がそうなのに。
自分のことは棚に上げて、人のことは恥ずかしい人だなとか思っていたかもしれない。
でも今はどう思われてもしょうがないかなあ。
それくらい私は険しい道のりを歩んでいるんだ。
整体師さんも、人によって仕事の感覚って違うから、こう思われてるかもという思いはあんまり当たらないらしい。
だから、もうどう思われていてもしょうがない、という感覚でいたい。
考えてもしょうがないこと。
休んでしまった事実は変わらないこと。
人がどう思うかなんてわからないこと。
他人がする判定は自分には関係ないこと。
全部それが本当のこと。
まあでも気になっちゃうのもほんとうのこと。
だから、そういう自分がいることを誤魔化さずに認識をちゃんとしてあげて、魂さんに報告をすること。
これが大事だと思うんだ。
こうやって向き合う勇気をくれた整体師さん、しいたけ占いさん、Bluetoothのキーボードさん、休んでいるのに何も聞いてこないお母さん、香ちゃん。
本当にありがとう。
私はあなた達のおかげで生きています。
1月15日
今日、あのルームシェアの話をしてから初めて会った。
その前に電話で話したこと。
まずは今までにないような内容だった。
そこで二人の成長を感じた。
最初は私が相変わらず、彼の心もとない言葉に傷つき泣いた。
その時の私は、ああ、またやってしまっている。と思いながらも、今日はJMTではないし思い切って今までの自分を出してしおう。
だって、 自分じゃコントロールできないし。
という感じだった。
出し切ってから彼への罪悪感、自分がしてしまった事への焦燥感があった。
でも、彼は確実に、私は確実に成長をしていると思った。
私が、大泣きしながらごめんなさいと言っていた時、彼は
「ーちゃん、だいじょうぶ。今はそういう時期なんだよ」と最初に言ってくれた。
そして、エネルギーを使わせてしまって、せっかく一人でうまくリズムを作っていたのに狂わしてごめんなさいと謝る私に
「確かにエネルギーはズレたけど、前みたいに、「コレだから話すの嫌なんだよ」とか怒ったりとかそういう感情は皆無で、自分に足りないところ宇宙が教えてくれるタイミングを与えたんだと思ってる。だからありがとう」とも言ってくれた。
私はそれを聞いて、本当にほっとした。
だってやってしまった感があったし。
ああ、彼といるとこんな嫌な自分が生まれて、私も彼も苦しい状態になってしまうなら、もう一緒にいるという事は出来ないなという、失望感もあった。
お互いを尊重し合っている、と彼が言ってくれた。それは絶対、彼だけの力ではないと思っている。
私が、なぜ彼がそんなことを言うのか。
それを自分の感情がコントロール出来ない中で、ずっと探していた気がする。
だからこそ、彼が
いまはーちゃんのことは考えないようにしている
と言う言葉も、それが今の彼にとっていい状態であると瞬時に受け入れることが出来たから。だからそれだったらいいよ。
と本当に心の底から納得して言えたからだ。
それは以前と大きく違うところ。
というか、久しぶりに彼の前で泣いたなあ。
自分のこう言う嫌なドロドロを久しぶりに彼にぶつけた。
だって今までJMTを無理してやっていたから。
彼と久しぶりに自分の等身大で話すことができた。
まだまだ執着は残っているなあ
修行はまだまだ終わらない。
でも、今日自分で腑に落ちたことがある。
以前整体師さんと話したことがあることだけど、あの時より断然ピッタリきていること。
私は高校生のあの家庭教師の彼のころから、ずっとずっと恋人からの連絡を待ち続けている。
これってとても自分に不誠実なんじゃないかと思う。
だって人生のほとんどの時間を、来るかどうかわからないものを待っているんだもの。
そりゃ、辛くなるよ。
そりゃ、想像を巡らせて現実世界では絶対ありえない期待をしてしまうよ。
これは、自分を大切にしていない行為だと思った。
これも執着の一種である。
恋人からの連絡を待つ私。
そんな自分でいたいのか?
と自分に問いかける。
即答で、全く違います!と返ってくる。
本当の自分はそう思っているはずなのに、執着に支配された違う自分はそれをしてしまう。
このズレを認識することが大事ね。
今日は色々あったので、ながーく書いてしまったけど。
これからどんどん自分をここに出していこうと思う。
おやすみなさい。