LIVE FREE -執着しないこと-

2016年1月にプロポーズされ、6月に体調不良で休職し、同時に母親が2度目のガンで手術し入院。その前に婚約していた彼から距離を置こう、と言われた28歳女のブログです。

久しぶりの話し合い

久しぶりに彼とケンカ、、、というか話し合いをした。
ケンカももちろんした。


こうなると思っていなかったけど、でも良いタイミングだった。
私もやっと被害者ぶることをやめて、彼も同じくらい辛いんだろうなって思えるようになっていたから。




彼は、私が思っていたより、はるかに辛い日々を送っているようだった。
「僕が悪いことをしている」という罪悪感ひたひただった。

私が「被害者ぶる」のだったら、彼は「加害者ぶる」とでも言いましょうか。


なんていうか、泣き過ぎて疲れた。

仕事は金曜日、半年ぶりにサボった。

これからまた半年頑張ろうと思ってる。

もう、彼のことを考えることが疲れた。
彼は彼で自分の問題に向き合っていってほしい。

ただ、大事な存在だからやっぱり大事にしたい。



今回、私がこういう事で苦しんでるんだと言いたかっただけなのにな。


何だか予想してなかった傷を負いました。

本質を見るという事が生きるという事。

私は今日からやってやる。

 

宣言します。

9月までに呼吸法を人に教えられるようにします。

 

別に教えてほしい、という人はいないけど。

その人のため、じゃなくて。

 

 

私が呼吸法を頑張るために。

自分のためにとりあえず9月まで頑張りたい。

 

お盆休みで5連休ある。

 

なんと、何も予定がない。

 

って事は何かに集中しなさいって事だから。

 

だから、私は呼吸法を頑張るぞ、ってなんとなく思った。

 

 

教えられるようになるには、もちろんまずは自分が理解している事が大事。

 

呼吸法の理解力を改めて自分で感じる。

 

なんとなく大事な事はわかるけど、じゃあこの人に分かりやすいように声に出して整理して教えるって絶対できない。

 

だから、まずは加藤さん(呼吸法の先生)の言葉を無意識化にいれる。

その後に自分なりに整理する。

 

って流れでやっていく。

 

 

まずは本を読む。何回も何回も読む。

 

その時強く共感したり理解したりした事は出来れば文字に書く。

 

書かなくてもよし◎

 

 

いつまで続くか分からないけど、それでやっていく。

 

 

そして、部屋を断捨離したはいいものの、収納がまだまだ始めたばかりなので、家に着いたら部屋を綺麗にする。

 

これも出来ればでよし。やりたい、って思ったらやる感じで。

 

 

今日本を読んで強く残ったこと。

 

煩悩を捨てると、物事の本質が見えてくる。

 

私たちが生きているという事は、物事の本質しかこの世に存在しない。

 

でも、私たちの持つ煩悩がそれに脚色する。

 

不安、不満、劣等感、嫉妬、怒り、焦りエトセトラ…

そればかりに意識がいっていては、物事の本質を捉える事はできない。

 

シンプルに生きるという事は、物事の本質のみに視点を合わせているという事。

 

 

世の中にはそういう本質しかないのに、私たちはどうして脚色して、本質を見ようとしないんだろう。

 

私の場合、彼が今日結婚するかしないかの返事をするかもしれない、なんて無駄に、本当に無駄に不安になっている。

 

自分がかわいそう。

 

だから、この状態の本質を見られるようになりたい。

 

それが何かって今は言葉に出来ないけど、本質は確かにある。

 

それを諦めず考えて、諦めず見ようとすることが今の私にできることだ。

 

全ては自分のために。

自分が幸せに生きるために。

 

私は煩悩に負けず、本質を見れる自分を手に入れる。

 

絶対諦めない。

 

しいたけさんからの言葉

とっても生きる勇気になりました。
今週のしいたけさんの言葉が。


もう最近ずっと緊張している。
先のことを想って不安になっている。


彼からの返事がいつ来るか分からなくて、今日来るかもしれない。
今日、もしかしたら整体師さんのところに行って、別れるって決断したかもしれない。

今日、「これから会えない?」ってメールがきて、別れを告げられるかもしれない。
と、もうこの土日は何度もそんなことを考えた。



・・・・不毛っっっっ

不毛すぎるっっっ。


分かっている。不毛だって。
先のことは考えたってわからない。

分かっているそんな事。でもっっ!

って思っていたところのしいたけさんの言葉でした。

「先のことなんてわかんないって思っちゃってください」
「こうしたらこの人はこうなるって、人の事を予測し過ぎなくていいです」


なんていうか、今の私にドンピシャすぎてぐうの音も出ないとはこの事です。


やっぱり、自分だけで戦っていると行き詰るんだな。
誰か一人でも、自分の状態を分かってくれる人がいるんだ。って思うだけで、一人で戦ってどうしようも出来なかったことが、心にすっと入ってくることってあるんだな。


そう思いました。

しいたけさんも言っている、「田舎のおじいちゃんからの手紙」感を今回は特に感じた。
遠くにいて、あまり会えないおじいちゃんが、私のことを心配してくれている、私一人じゃないんだ。
ってなんだか凄く優しい気持ちになりました。


ありがとうしいたけさん。
これからも毎週楽しみにしています。

しいたけさんからもらった言葉

今日のしいたけさんのブログはとってもしびれた。
その言葉のチョイス、優しさに感服いたします。

https://ameblo.jp/shiitake-uranai-desuyo/


特にここ↓

「相手に心を閉ざす権利を認める」

というところ。



いや、本当にそうなんですよ。

私の場合は既読スルーっていうか結婚スルーだったわけで。
そんなの全然許せなかった。怒って当然だと思っていた。


しかも、私が結婚してよ!って言ったわけじゃなくて向こうからプロポーズしてきたことなのに、勝手に閉ざされてしまった。


夢だった結婚。憧れだった結婚。
「選ばれる」ということが「良い女である」という称号をもらえると同位であると思っていた結婚。
(夢見る夢子だと笑ってください)

プロポーズされて、私を知っているあらゆる人に自慢したかった。

結婚することがこの20代後半の女子にとって一番幸せであると思っていたその結婚。


それが出来なくなる。
目の前が真っ暗になる。どうしてどうしてと、あんなに尽くしたあの時間は無駄だったのかとたくさん彼を責めた。



でも彼は、優しくしても責めても、泣いても怒っても、私が元気であることをアピールしても、悩んでいることを相談しても、、、、

全く開けてくれない。のでした。


ちなみに、彼にとって「結婚」は今でもタブーなのだ。



この1年とちょっとの間、彼と結婚するために走りまくった。頑張りまくった。

でも、彼は変わらなかった。


私が、年内までに結婚しないなら別れよう。と伝えたときも、
「そのことで悩みたくない。決めるならパッと決めたい」
と言っていた。


なんだかもう、そんな彼に飽きれきった。
私はここまでこの「結婚できない」ということに向き合い続けているのに、彼は全く向き合っていない。



でも彼にどんなに言ったって、どんなことをしたって、何も変わらないという事が良く分かってきていた。

だから、私の人生でもあるのにパッと決めないでよ、という不満が喉まで出ていたけど、笑ってみた。

そうか、いいよ、私は年内までに決めてくれればそれで良いから。決め方を指定しているわけじゃないから。そう思った。
(実際、彼には「なんでもいいけど」と言ったと思う。)



こんなに戦って、こんなに泣いて、こんなに結婚に向き合わない彼に飽き飽きしているのに、私は彼と別れていない。


そう、別れていないのです。

もちろん何度も別れようと伝えた。でも彼はうん、と言ってくれなかった。
私もそれに応じたのだ。本当に嫌なら別れることは絶対に出来たはずなのに。


今思えば、という結果論になるけど、そんな彼を愛する気持ちが多分心の中にあって、それを無視できなかったのだと思う。
実際、今はいろんな事がクリアになって、彼への愛を実感する毎日なのだ。



いろんな事がクリアになった、というのは、一番はあのしいたけさんの言葉通り、
結婚に向き合わない彼を許す

ことが出来るようになったからだと思う。



結婚できません、といわれて→許せない!と思う。

でも、許せないからってどうなるんだろう。彼の気持ちは彼のもので、その彼が結婚できないと思っているわけだ。

だったらもう何もすることはない。
どんなに責めたって、泣いたって、怒ったって、例えば結婚したらこんな良い事があるんだよとアピールしたからって、彼の気持ちは変わらないのだ。

そこに、私の想いを入れる隙間なんてないものなのだ。





私はただ、それが許せない。彼は、結婚したくない。


ただただ、それだけなのだ。


私が許せないからといって、彼の脳内に侵入して気持ちを変えてしまえる未来になっても、そういう事はしてはいけないのだ。
もし誰かの気持ちを変えられる券、みたいなものが当たったとしても、私は彼に何もしないだろう。

しいたけさんのいう、「閉ざす権利を認める」というのは、そういう事なのかもしれない。


私はただ、今の状態の彼を思いっきり愛す。
そして、自分のしたいことをこれからは思いっきりやる。


そしたらさ、来週の私の誕生日、一日空けていてくれてお休みとってどこか遠出しようだって。

なんかもうキセキみたいに嬉しいよ。
もし、体調悪くなっていけなかったとしても、全然満足。もう既に凄い幸せ。



私はようやく被害者から脱することが出来ているみたい。

これからの時間は、その全てを私のものにする。誰のものにもしない。

彼の優しさ

整体師さんに言われたあの言葉をよく思い出す。

―ちゃんは仕事や友達、家族にはマリア様が出来るけど、恋人にはそれが出来ないよね。
(マリア様とは、見返りを求めない愛を与えること)


その時は、恋人にそれが出来たら良いのに何で出来ないんだろう(イライラ・モヤモヤ)ってしていたけど、
今は、そうなんだよなあ。ここが私の弱点なんだよね~でも段々マリア様になってきている気がする(ワクワク)

と、思うようになってきた。


**************


今日の朝、最近彼がしてくれていることをなんとなく思い出した。


ここ最近、体調も気分も悪くて意味不明なラインを彼に送るけど、それにスタンプでいちいち応えてくれる。
(多分他の男の子は面倒だと思う。自己嫌悪フィーバーフー!とか意味不明だよね。でも負けないぞー!とかそういうのがただ来るだけだからね。)


そもそも、それも私の要望。

以前同じようなことを彼にやったら、それならこう考えたほうがいいんじゃない、みたいに熱く語られた。

その時に勇気を出して言った。
「私って辛すぎたり疲れすぎたりするとちょっとおかしくなりたいんだよね。それで発散するというか。だから意味不明な事言っても、無理に励ますとかしなくていい。
癒されるスタンプだけ送ってくれれば良いから。」
とかなりわがままな事を言った。


なぜかわがままかって、
「じゃあこう考えたほうが良いんじゃない?」って親身になってくれる人に、
「そういうんじゃなくてもっと適当でいい。だって真面目に答えられちゃうとテンション下がるから。」って言ったようなもので。

彼の反応は、「そうかなと思ったけど、なんかその時そうしちゃったんだよね」って感じだったけど。
(彼は人の気持ちを察することが大変上手だ。だからその辺楽なのかもなあ。)


私は今まで親身になってくれる人はありがたい存在、だから大事にしなきゃ、と無理やり思ってきたところがある。
本当の私はそれを望んでいないのに、親身になってくれている人とのやりとりを頑張らなきゃ、という一種の責任感を強く感じていた。


親身になってくれているんだから、本当はそういう事をしてほしいんじゃない。って言ったらダメだと思っていた。


でも、本当の自分を出してみたら、想像以上に彼は優しかった。
私の望んでいることを聞いてくれて理解してくれて、私のことを思って相手をしてくれている。
だってね、彼多分忙しいんだよ。

私の意味不明なラインなんて、超めんどくさいんだよ。
わたしだったらこんな内容結構な確立で無視だよ。


でも、どんな内容でも、どんなに毎日のように送っても、スタンプで返してくれる。
それが最高に愛だなって感じるんだ。

私って多分凄くめんどくさい人だと思う。構ってほしい欲が強いし、ある一定の愛を感じないと、あれ、嫌いになったのかな・・・なんて思うときもある。(いつもじゃないよ)


彼にももちろん感情の波はあるけど、ベースがとっても優しいんだ。
私はもっとその優しさに素直に甘えていいかな、と思ったらとっても穏やかな気持ちになれた。



その優しさを利用するんじゃない。頼るんじゃない。
優しい部分を尊敬して、素晴らしいねそんなところが大好きだよ、って声に出して言っていい気がする。

独りになるということ

私と彼の関係を他人に話すと、絶対に言われる
「それってどうなの?」
「絶対に別れたほうがいいよ」


と。

もう慣れたけどね。彼との関係をたった3時間とかで全部話せるわけじゃないし。


でも、やっぱり理解されないのは寂しい。と思う。

友達と話していて、何が一番悲しいって「まああなたが幸せならそれでいいけど」ってなってしまうこと。

それってもうこの話に興味なくなったってことを宣言している瞬間だ。



「私がこれだけ言っているのに、あなたはそれを聞かないから、だったらもういいよ。」

みたいな突き放された寂しさを感じる。



この言葉、友達にたくさん言われた。

その度にさびしくて、相手が興味もってくれること
たとえばリアクションしてくれること、質問してくれることを気付いたら喋っている。(びっくりな事に、普段考えていることと逆のことを言ったりする。人の承認欲求ってこわいね)

「彼の言うことを聞いているだけの女です私は」
「彼からしたらきっと都合のいい女ですよね私って」
「そんな自分ってすごく悲劇のヒロインなんですっ(って感じの話をしている)」


彼を「悪」とし、私を「その悪に振り回されているいたいけな女」

みたいな構図が成り立つように相手に伝えてしまう。


そうすると、相手は「別れたほうがいい」と言うわけですよね。
はい、方程式ができましたね。



可哀想だね、でも頑張っているんだねって思ってほしいんだろうな。
私はどこかで、弱い自分をみてほしい、構ってほしいって思っているんだろうな。

これが私の深層心理だ。



「悲しさ」とか「怒り」で人を巻き込むと、その相手もマイナスのパワーを貰ってしまう。
そして自分もそのマイナスから出られなくなってしまう。

この負のスパイラル、ずっと陥っていた。
私の周りに集まるのは、そういう不満不安をエネルギーにして生きている人が多かったように思う。
その人のマイナスを私も引き出していたし。



実はここ最近、「ああこの人友達だな、心を許せて喋れるな」って人が激減した。
今までも友達が少なかったのに、心を許せる人は女の子二人くらいになってしまった。
(もちろん彼もその中の一人である。友人の中の友人って感じだ。)


もともと、友達が少ないことが少しコンプレックスだった。
それが更に激減してしまって、私って結構一人だな、と思うことが増えた。

今まではそれが恥ずかしかった。「愛される私」「みんなから注目される私」でないと納得いかなかった。


でも、今はこんな自分でもいいんじゃないかなって思う。
友達が少ないからって、「自分に魅力がないから」と落ち込む必要はない。
だって、心通っている人は私のことを好きでいてくれる。

会える日が楽しみだねってなってくれる。

それだけでいいんじゃないか。むしろ、魅力がないと落ち込むことはその友達に失礼だなと思う。


ああ、今週は14日に彼に会える。
はやく会いたい。美味しいねって言い合いたい。

早く金曜日になれ。

7/6

ふと思いました。

私、彼と結婚する覚悟は出来てきているけど、年内に結婚できないなら別れるという覚悟がまだ全然足りていない。

こんなに好きなら、あれ、結婚できなくても付き合ったままでよくない?とかって思うときがある。
「私、なんで年内までって決めたんだろう。」って。


今日はこれを考えるタイミングなのね。。。


まず、何で年内まで、という期限を設けたかと言うと。。。
単純にもう待つのがイヤだったから。

これだけなんだよね。

私は結局去年の1月にプロポーズされてから1年以上も待っている。

この1年3ヶ月の「待ち」には私にとっても彼にとっても価値があると思う。
私もこの1年で本当に変わった。とても辛かったけど、その分の成長ができたし、今の自分のほうが断然好きだ。


だから、この待っている時間が無駄だったとはいえない。全く無駄ではない。


この決断をしたとき、結婚も別れもしない、何も決断できない彼にイライラしていた。
だったら私がもう決断しよう、ってなったんだよね。

この、出口が見えない「待ち」は私を不幸にする、って直感があった。


私はもう彼から自由になりたかった。
結婚をするのかしないのかわからなくて不安でイライラすることも、別れが待っているかもしれないと悲しむことも、もうしたくなかった。

2011年12月から付き合い始めて、私はずっとずっと彼が主役で私の役は何もなかった。
いや、なかった、ではなく自分からなくしていた。

彼を主役にさせて、私は3歩引く、みたいなのが理想の恋人像だったから。それが良い彼女だと思っていたから。


でも、私は実はそれが向いてなくて、方法が分からなくて3歩どころか自分を失くしてしまっていた。
ゼロか100か!みたいに不器用にしかできなかった。


だから、もう完全に彼に振り回され続けていた。



今はもうそんなに自分で自分をいじめる事はしたくても出来ないだろう。
もうもう、ほんとーーーにそんなことはうんざりなんだ。

彼を待つこと、それによって自分がマイナスな感情になること。
これが私にとっての不幸だ。