LIVE FREE -執着しないこと-

2016年1月にプロポーズされ、6月に体調不良で休職し、同時に母親が2度目のガンで手術し入院。その前に婚約していた彼から距離を置こう、と言われた28歳女のブログです。

必要なのは“喝”ではなく“愛”でした

彼と会ってきました。
何と言うか、色々ありました。

色々あって、その分色々感じて、新しいことも、再認識したこともありました。


とりあえず、寝不足です。(8/18)



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彼は物凄い優しかった。いや、知っていたけど改めて実感。

私がどれだけ疲れていて、どれだけ癒しを求めているのか分かったようだった。



結局、彼が癒してあげたい、と言ってくれ、少し時間の無理をしてホテルに泊まることになった。
(最近禁煙の部屋を見つけて、完全に普通のホテル・・・より全然広くて最高。)

彼は奉仕スイッチが入ると凄いな、と改めて思う。
自分もかなり疲れているのに、私に何かしてあげたい、と思ってくれる。
そこに深い愛を感じました。


**************



今回、辛すぎて彼にヘルプを出した。

この行動って実は私の成長の証だと思っている。



彼への執着がなくなりつつある今、一番壁になっているのが
「彼の負担にならない自分でいなければいけない」

ということ。


以前の私は、
パートナー中心で思考し、行動している自分でなければ存在価値がない、くらいの呪縛と、
私の全部を受け止めてくれなきゃパートナーじゃない!っていう傲慢さがあった。

自分にも相手にも無理のある要求をし続けた。それが正解だと思っていたから。
てかそれしか知らなかったから。



心を患って不安と戦う彼に、「もっとこうしてくれなきゃ嫌だ!」という傲慢な感情をぶつけることは、彼の負担となった。
そして、パートナー中心の精神が彼に負担をかけてしまっていることが受け入れられなかった。(負担かけたくなくてやっていることだと信じていたから)

私の存在を負担だ!と訴える彼の姿は、余計に私を苦しくさせた。



だから、自分勝手な感情を伝えたい!伝えてこそ良い関係だ!という気持ちと、彼のために我慢しなくてはいけない・・・という気持ちがごちゃ混ぜで、あの頃は自分の気持ちをどう伝えても裏目に出た。
怖かった。どうすればいいか分からないから、自分の信じた形で伝えてみるけど、その形はどれも自分勝手なもので相手には全て負担となった。


距離をおき、その間にも色々ある中で、
少しずつ、「私は私のままでいいだ」と思い始めた。
そして、どんどん彼への執着が薄くなっていった。

このどうしようもない苦しさも今はない。


☆パートナー中心でいることは、得意だと思っていたし使命だと思っていたし、彼に対してこう尽くせるのは私にしか出来ないことだ、と思っていた。
でも、全然得意ではなかった。

むしろ、私は自由を欲する人間だった。彼のことを優先して自分らしくいられないことはとっても辛いことだった。
だからもうやらない!というわけではないけど、もうそれを優先する自分だと、元気がなくなることが分かった。


☆私の全部を受け止めなきゃパートナーじゃない!という思考は、いや、全部なんて受け止められないでしょ。
と思うようになった。


それよりも、私の全部を見ても無視するところは無視してほしい、と思っている。
受け止めるか受け止めないか、の話じゃなくて、気にしないでいてくれるか、気にして干渉するか、というのが重要な気がする。

何でもかんでも受け止めようと思うと、自分の許せないところも受け入れなきゃっていう呪縛が出来てしまう。
違う人間なのだから、受け入れられないことが大なり小なりあるはずで。

それをずっと気にして生きていくなんて絶対に嫌だ。
お互い自由のある関係、それで今回みたいにヘルプ!ってなったら助け合えるよな関係でいたい。


あと、マダニに噛まれて死んでしまうかもしれない、って初めてリアルに想像出来たことも、良かったな。

 

生きていればとりあえずおっけーだよな、って色々ゆるしたくなった。

 

 

まあ、こう書いているけど、実際今、ある事があって自由じゃなくなっていて悲しくなっているけどね。
その話はまたこんど。

 

負けへん!

お盆休み明けの喝

喝を入れなおさないといけない。

お盆5連休明けの私の心はこの、地獄のような職場に木っ端微塵にされている。

この職場で働くこと。
というか、この隣にいる人と一緒に仕事をしていくかと思うと、本当に途方もない負担がかかっている気がしてもう心は弱りきっている。


6月末まで休まない。そう決めて達成した。

今度はクレジットカードに残っている借金を返済するまでこの仕事を辞めない。
にしようかな。



ああもう心が弱りきっている。

だからもうヘルプ!って彼に言ったら今日会うことになったよ。
それだけでもう涙が出ちゃう。


アドバイスはいらない。ただ、隣にいてほしい。手を握ったりしてほしい。

あわよくば一緒にお風呂に入って、そのあとビールを飲んで一緒の布団で寝たい。


最近ふと思うけど、私は彼と結婚したい!が最初と言うわけじゃなくて、
一緒に生きていきたい。生活をしていきたいと思う。


それが最終的に結婚する、という形であって、結婚することが目的ではないんだな、と思う。
プロポーズ断られてから半年くらい(というともう今年の5月くらいだけど)までは、結婚することが目的になっていた。


違う違う。

結婚したい!ではなく、一緒に生きていきたい!だよね。

楽しいことも、苦しいことも一緒に生きて乗り越えていこうよ、ってはなし。



本当に彼と会えてよかった。こうして今も一緒にいることができてよかった。
ヘルプ!って言ったら会ってくれる関係でよかった。


別れないでくれてありがとう。
見守っていてくれてありがとう。

自分から苦しい道を選択してくれてありがとう。


後もう少し、苦しい時間を一緒にいてお互い成長していこう。

 

 

 

違う違う。

喝の話だって。

 

 

とにかく会うのが凄く嬉しい。

預言者という人生の介入者

彼がまた、予言?預言?できる人のところへ行くらしい。
物凄く嫌悪感がある。


未来が分かる人って、そんな容易く近づいちゃいけない。と私は思う。
そういう力って、人を簡単に傷つけられる武器であると思うから。
そして、たくさんの勘違いとか行き違いを生んでしまうもの危険なものだと感じる。


今回、彼にその話を聞いてから、私はその武器によってとても傷つけられていることがわかった。


***************


占いだって予言の一つだろう。
今日の星座占いで「残念!今日は最下位の12位!」って言われた人は、やっぱりなんとなくそうなんだあって悲しくなるもんだ。

誰かも分からない、自分の人生に関わりのない人が、たまたまTVを見ていたその人の心に傷をつける
という行為は、その人自身の尊厳を削り取ってしまうものだと思う。
(大袈裟に聞こえるけど、実際そういう人はいるのでは。)


「予言」の力を持った人、または、持っているそぶりをしているには、そういう権利ってないし、あってはいけないんじゃないか。

どんなに力が強い人でも、それを乱用してはいけない。
他人が傷付かないよう細心の注意を払って、人を選んで方法を選んで、
そして自分を犠牲にすることも「その人のため」といって躊躇なくしなくてはいけない。


強い力を持つこと、それを人のために役立てようとすることはそのくらいの覚悟がないと、すぐに「悪」になってしまう。






そして、そういう占いとか未来予測が大好きな人は、
「そういうもので傷付いたからあなたにこうしました。」

って周りの人まで巻き込んでしまうことは絶対にしてはいけないと思う。






予言をしてもらった瞬間から、(特にその予言が自分のためになったと思っている人は)その人とは他人ではなくなる。


でも、周りの人は?

例えば家族や恋人や友達は?

その方々から見れば、その予言者は「他人」だ。

他人から言われた言葉で傷付くなんて、そしてその他人が力を持っているとわかったら、傷はどうやって癒していくのか。



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彼と距離を置いたのは、7月始め。

その半月前の6月中旬頃、彼ははじめて「予言者」のところへ行き、「今の彼女とは別れなさい」と言われたらしい。


別に行くのはいい。
彼の自由だ。


そして、離れたのも良い。良い判断だったと思う。


でも、当時彼はこう言っていた。
「その人(預言者Aさん)が言ったから離れるわけじゃない。でも、きっかけになったのは確かだよ」と。

よく、わかるよ。そう言ってしまうこと。

他人から現実を突きつけられたような感じがしてそれが不甲斐ないしね。
今まで誤魔化していたことがもう逃げられない、と思う苦しさとかね。よく分かる。


でもさ、それを私に言うのは違うのではないのか?と言いたいのです。



あなたが選択して、勝手に傷付いた傷を他人のせいにして、それを相手に共有させる。
傷をうつすっていうのは、その二人の間にどんな信頼関係があったって罪なことだと思う。


私は、他人が言った言葉で傷付いた。
彼が言った言葉なら、いくらだって傷付いていい。

だって、絆があるから。愛があるから。回復する方法はある。


でも、他人から言われた言葉って、どうしたって棘が残る。

だってその人と絆がないから。
私はその預言者Aさんに愛を感じていないから。
信頼関係にないから。


そのどうしようも出来ないことって、本当に負担になる。

回復が出来ないから、いつまでも棘が残る。


他人に傷つけられた傷が今になって私を苦しめる。

今の課題は「このどうしようもできない傷を自分の力で癒す」ことなのだろうか。

他人から受けた傷も、あなたも傷付くけどそれもすらもわかってほしい、と思ってしまう彼の弱さを受け入れなさい、という時期なのか。




なんにせよ、今回のことでまた傷付くのではないか、と不安なのです。
トラウマなのです。


どうか、彼がその話を私にしませんように。



自分で書いていて思ったけど、私も気をつけないといけないな。

何でも言う、仲になるのではなく、この人を傷つけたくないって常に思っていられるような関係、
そして時には「やらない」ことを選択できるような関係になりたい。

久しぶりの話し合い

久しぶりに彼とケンカ、、、というか話し合いをした。
ケンカももちろんした。


こうなると思っていなかったけど、でも良いタイミングだった。
私もやっと被害者ぶることをやめて、彼も同じくらい辛いんだろうなって思えるようになっていたから。




彼は、私が思っていたより、はるかに辛い日々を送っているようだった。
「僕が悪いことをしている」という罪悪感ひたひただった。

私が「被害者ぶる」のだったら、彼は「加害者ぶる」とでも言いましょうか。


なんていうか、泣き過ぎて疲れた。

仕事は金曜日、半年ぶりにサボった。

これからまた半年頑張ろうと思ってる。

もう、彼のことを考えることが疲れた。
彼は彼で自分の問題に向き合っていってほしい。

ただ、大事な存在だからやっぱり大事にしたい。



今回、私がこういう事で苦しんでるんだと言いたかっただけなのにな。


何だか予想してなかった傷を負いました。

本質を見るという事が生きるという事。

私は今日からやってやる。

 

宣言します。

9月までに呼吸法を人に教えられるようにします。

 

別に教えてほしい、という人はいないけど。

その人のため、じゃなくて。

 

 

私が呼吸法を頑張るために。

自分のためにとりあえず9月まで頑張りたい。

 

お盆休みで5連休ある。

 

なんと、何も予定がない。

 

って事は何かに集中しなさいって事だから。

 

だから、私は呼吸法を頑張るぞ、ってなんとなく思った。

 

 

教えられるようになるには、もちろんまずは自分が理解している事が大事。

 

呼吸法の理解力を改めて自分で感じる。

 

なんとなく大事な事はわかるけど、じゃあこの人に分かりやすいように声に出して整理して教えるって絶対できない。

 

だから、まずは加藤さん(呼吸法の先生)の言葉を無意識化にいれる。

その後に自分なりに整理する。

 

って流れでやっていく。

 

 

まずは本を読む。何回も何回も読む。

 

その時強く共感したり理解したりした事は出来れば文字に書く。

 

書かなくてもよし◎

 

 

いつまで続くか分からないけど、それでやっていく。

 

 

そして、部屋を断捨離したはいいものの、収納がまだまだ始めたばかりなので、家に着いたら部屋を綺麗にする。

 

これも出来ればでよし。やりたい、って思ったらやる感じで。

 

 

今日本を読んで強く残ったこと。

 

煩悩を捨てると、物事の本質が見えてくる。

 

私たちが生きているという事は、物事の本質しかこの世に存在しない。

 

でも、私たちの持つ煩悩がそれに脚色する。

 

不安、不満、劣等感、嫉妬、怒り、焦りエトセトラ…

そればかりに意識がいっていては、物事の本質を捉える事はできない。

 

シンプルに生きるという事は、物事の本質のみに視点を合わせているという事。

 

 

世の中にはそういう本質しかないのに、私たちはどうして脚色して、本質を見ようとしないんだろう。

 

私の場合、彼が今日結婚するかしないかの返事をするかもしれない、なんて無駄に、本当に無駄に不安になっている。

 

自分がかわいそう。

 

だから、この状態の本質を見られるようになりたい。

 

それが何かって今は言葉に出来ないけど、本質は確かにある。

 

それを諦めず考えて、諦めず見ようとすることが今の私にできることだ。

 

全ては自分のために。

自分が幸せに生きるために。

 

私は煩悩に負けず、本質を見れる自分を手に入れる。

 

絶対諦めない。

 

しいたけさんからの言葉

とっても生きる勇気になりました。
今週のしいたけさんの言葉が。


もう最近ずっと緊張している。
先のことを想って不安になっている。


彼からの返事がいつ来るか分からなくて、今日来るかもしれない。
今日、もしかしたら整体師さんのところに行って、別れるって決断したかもしれない。

今日、「これから会えない?」ってメールがきて、別れを告げられるかもしれない。
と、もうこの土日は何度もそんなことを考えた。



・・・・不毛っっっっ

不毛すぎるっっっ。


分かっている。不毛だって。
先のことは考えたってわからない。

分かっているそんな事。でもっっ!

って思っていたところのしいたけさんの言葉でした。

「先のことなんてわかんないって思っちゃってください」
「こうしたらこの人はこうなるって、人の事を予測し過ぎなくていいです」


なんていうか、今の私にドンピシャすぎてぐうの音も出ないとはこの事です。


やっぱり、自分だけで戦っていると行き詰るんだな。
誰か一人でも、自分の状態を分かってくれる人がいるんだ。って思うだけで、一人で戦ってどうしようも出来なかったことが、心にすっと入ってくることってあるんだな。


そう思いました。

しいたけさんも言っている、「田舎のおじいちゃんからの手紙」感を今回は特に感じた。
遠くにいて、あまり会えないおじいちゃんが、私のことを心配してくれている、私一人じゃないんだ。
ってなんだか凄く優しい気持ちになりました。


ありがとうしいたけさん。
これからも毎週楽しみにしています。

しいたけさんからもらった言葉

今日のしいたけさんのブログはとってもしびれた。
その言葉のチョイス、優しさに感服いたします。

https://ameblo.jp/shiitake-uranai-desuyo/


特にここ↓

「相手に心を閉ざす権利を認める」

というところ。



いや、本当にそうなんですよ。

私の場合は既読スルーっていうか結婚スルーだったわけで。
そんなの全然許せなかった。怒って当然だと思っていた。


しかも、私が結婚してよ!って言ったわけじゃなくて向こうからプロポーズしてきたことなのに、勝手に閉ざされてしまった。


夢だった結婚。憧れだった結婚。
「選ばれる」ということが「良い女である」という称号をもらえると同位であると思っていた結婚。
(夢見る夢子だと笑ってください)

プロポーズされて、私を知っているあらゆる人に自慢したかった。

結婚することがこの20代後半の女子にとって一番幸せであると思っていたその結婚。


それが出来なくなる。
目の前が真っ暗になる。どうしてどうしてと、あんなに尽くしたあの時間は無駄だったのかとたくさん彼を責めた。



でも彼は、優しくしても責めても、泣いても怒っても、私が元気であることをアピールしても、悩んでいることを相談しても、、、、

全く開けてくれない。のでした。


ちなみに、彼にとって「結婚」は今でもタブーなのだ。



この1年とちょっとの間、彼と結婚するために走りまくった。頑張りまくった。

でも、彼は変わらなかった。


私が、年内までに結婚しないなら別れよう。と伝えたときも、
「そのことで悩みたくない。決めるならパッと決めたい」
と言っていた。


なんだかもう、そんな彼に飽きれきった。
私はここまでこの「結婚できない」ということに向き合い続けているのに、彼は全く向き合っていない。



でも彼にどんなに言ったって、どんなことをしたって、何も変わらないという事が良く分かってきていた。

だから、私の人生でもあるのにパッと決めないでよ、という不満が喉まで出ていたけど、笑ってみた。

そうか、いいよ、私は年内までに決めてくれればそれで良いから。決め方を指定しているわけじゃないから。そう思った。
(実際、彼には「なんでもいいけど」と言ったと思う。)



こんなに戦って、こんなに泣いて、こんなに結婚に向き合わない彼に飽き飽きしているのに、私は彼と別れていない。


そう、別れていないのです。

もちろん何度も別れようと伝えた。でも彼はうん、と言ってくれなかった。
私もそれに応じたのだ。本当に嫌なら別れることは絶対に出来たはずなのに。


今思えば、という結果論になるけど、そんな彼を愛する気持ちが多分心の中にあって、それを無視できなかったのだと思う。
実際、今はいろんな事がクリアになって、彼への愛を実感する毎日なのだ。



いろんな事がクリアになった、というのは、一番はあのしいたけさんの言葉通り、
結婚に向き合わない彼を許す

ことが出来るようになったからだと思う。



結婚できません、といわれて→許せない!と思う。

でも、許せないからってどうなるんだろう。彼の気持ちは彼のもので、その彼が結婚できないと思っているわけだ。

だったらもう何もすることはない。
どんなに責めたって、泣いたって、怒ったって、例えば結婚したらこんな良い事があるんだよとアピールしたからって、彼の気持ちは変わらないのだ。

そこに、私の想いを入れる隙間なんてないものなのだ。





私はただ、それが許せない。彼は、結婚したくない。


ただただ、それだけなのだ。


私が許せないからといって、彼の脳内に侵入して気持ちを変えてしまえる未来になっても、そういう事はしてはいけないのだ。
もし誰かの気持ちを変えられる券、みたいなものが当たったとしても、私は彼に何もしないだろう。

しいたけさんのいう、「閉ざす権利を認める」というのは、そういう事なのかもしれない。


私はただ、今の状態の彼を思いっきり愛す。
そして、自分のしたいことをこれからは思いっきりやる。


そしたらさ、来週の私の誕生日、一日空けていてくれてお休みとってどこか遠出しようだって。

なんかもうキセキみたいに嬉しいよ。
もし、体調悪くなっていけなかったとしても、全然満足。もう既に凄い幸せ。



私はようやく被害者から脱することが出来ているみたい。

これからの時間は、その全てを私のものにする。誰のものにもしない。