昔の自分を抱きしめる
なんだか今自分の中ですごいことが起きている気がする。
これに気付いたとき、体中が熱くなった。
肩から指先に向けて、血管が流れているのをすごく感じた。
「依存しない自分でいられるように頑張る」 ということはしなくていいかもしれない。
もしかしてもしかして、「依存しない自分」とは、頑張らない自分でいればいいかもしれない。
いままで、ずっと頑張ってきた。婚約後に彼と離れてからは、「依存する自分」がいたからこうなったのだと、だからこれはいけない事だと思って「依存しない」とは何か考えて頑張ってやってきた。
辛いな、と思ったとき、反射的に「依存しているからだ、じゃあ依存しないってどういうことだろう?」と、悶々と考える日々を過ごしてきたように思う。
彼と接してても、「依存するわたしじゃ嫌われる」と思っていたから、「依存しない言い方、接し方じゃないと」ってずっと思ってきた。
「依存していない自分でいなきゃいけない」
これが今の私を不自由にしていたのかもしれない。
でも、これがずっと私の背中を押してくれたのも確かなんだ。
依存大好きな私でいたくない。もっと自由で、自分が大好きで、明るい私でいたかった。
だからこそ、依存している私は嫌いだった。
そりゃ彼も一緒にいるのがイヤになるよな、と思っていた。
でも、そう思うのはやめようかな。
依存してしまう弱い自分も、間違いなくわたしなんだ。
過去のわたし。だから、“嫌い”だと思うことはやめよう。
あの時はあの時なりの幸せがあった。楽しさがあった。嬉しさがあった。
苦しい時間が多かったし、体調もずっとわるかったけど、ずっと不幸なわけではなかった。
過去の自分を嫌いになると、その時の頑張りを自分で認められなくなる。
そうすると、ずっと心に「なんで頑張ってきたことを評価しないんだ」という満たされないモヤモヤが残る。
そうすると、満たされないそれを他人に求める。
そして依存型人間になってしまう。
人と人との間で、自分が本当に求めることをしてくれる人なんていないと思う。
あっても一瞬なのだ。
そして、「満たしてください!」と人に求めてしまうと、人は不思議と与えてくれないのだ。
その満たされてない感、まずは自分で満たしてみよう。
それには、過去に頑張ってきた自分を抱きしめること。
私は、依存していた自分を抱きしめる。あの頃辛かったね。でも、私の持っている全てを使って全力で頑張っていたよね。
あの頃頑張っていたわたしがいるから、今のわたしがいるよ。
依存することは、相手にとっても重いけど、まずは自分にとって重いことであると、幸せになりたいならまずここから何とかしよう、と教えてくれたのは紛れもなくあなたです。
本当にありがとう。頑張ってくれてありがとう。
あの頃のあなたのためにも、わたしは今の自分を幸せにするために本気で行動していくよ。
嫌な上司との事象(まとめ)
・今の出来事の何が自分にとって“イヤ”だったのか 私はその時何をしたかったのか
・それを今どう捉えることが自分の幸せにつながるのか
・今後、それにどう対応したらいいのか
・今の出来事の何が自分にとって“イヤ”だったのか 私はその時何をしたかったのか
↓
私より焦っていたこと
私には興味がなく、そのミスをどう挽回するかだけしか考えていないこと(ヒアリングされていない)
さらに、ミスを挽回することよりも、それによって「迷惑をかけた人間」にどう思われるかという事しか気にしていないところ
(結果、私の早とちりという解決に至ったのに、上司の頭は「もうこの人に言っちゃったよどうすんの」くらいの頭しかなかった 問題を展開した)
私の早とちりをミスだと早とちりしたのは上司なのに、「なにやってんだよ」みたいな空気が流れたこと
解決したのに、陰湿な空気が流れたこと(全部私のせいなの?という憤りがある)
馬鹿にしたように笑ったこと
自分の意見を言うばかりで、何も聞いてくれないこと
その時・・・
ミスをしたなのなら出来る限りの手段を使って内容を明確にしたい
(そのミスの影響がわかってから処理するのではなく)
→そんな事しなくていいよと言われてイヤだった(責任を取っていない感じ)
全体的に言うと、「部下の意見を聞かず、自分の面子だけ守ろうとする上司」が許せない。
責任感がない
“上司”としての覚悟が足りない
人間として魅力がない
自分を守ることしか考えていない姿勢はみっともない
・それを今どう捉えることが自分の幸せにつながるのか
これは解決すべき問題なのか?と最初に思う。
上司は保守的過ぎる。これは本当にイヤだ。肌に合わない。
でも、それを変えることは出来ないなと思う。
ここに入った当初は、「私が思う理想の働き方がしたい」と思っていた。
今、本当にそう思うか?
「私の理想」が「このチームの、メンバーの理想」とは限らない。
今はなんとなく、それを押し付けるのは恥ずかしいことだな、と思う。
(これって成長なのかな)
そして、本当に私はこの人たちといい関係で仕事がしたいのか?
と改めて考える。
すると、別にいいかな、と思う。
この人たちといい関係になりたい!と思うエネルギーを別のところに使いたいという気持ちが大きい。
煩悩リセット稽古帳で、「職場はどんな役職だろうと、“訪問者”として自分を置いたほうがよい」という言葉がしっくりくる。
私は派遣だし、そこにずっといるわけじゃない。ここの職場と共に人生を生きるわけじゃない。
というか、仕事場は私のものではない。
だから、私の理想を押し付ける場所ではないなと思う。
・今後、それにどう対応したらいいのか
でも、そうはいってもイライラするときとか、絶対ある。
なんでこういう言い方するんだろう、なぜこうしてくれないんだろう、
そう思うときはこれからもあるだろう。
そんな時は、これを思い出す。「ここは私の居場所じゃない」
そして、私の持っている光に注目して、自然とみんなを照らすような存在になれば、私はそこに役にたつ。
自分の理想をかなえる場所はここではない。
もっと自分で作っていかなきゃいけない。
なぜ私はメールを待っているのか
メールが来ない、またはこういうメールがほしいのにな、って苦しくなっているときは、承認欲求が“恐れ”に支配されているとき。
苦しいっ!ってなったら、一旦その気持ちを俯瞰してみよう。
こういう気持ちのままいるとどうなるんだろう、
こういう自分でいたいんだっけ?
そういう自分は好き?
と自分に問いかけてみよう。
ちょっと考えてみよう。
「なぜ私はメールを待っているのか」
・寂しい気持ちがあるから
・構ってほしいから
・誰かに必要とされたいから
・相手がどうしているか気になるから
・連絡がない=相手が自分に興味がない という方程式が脳にインプットされてて、メールチェックをする度に悲しくなりたいから
う~ん、これな!って感じです。これだよこれ。
わたし、あえて自分から悲しくなるほうへ行ってるんだって最近本当に実感している。
(前は整体師さんにそう言われても今くらい納得してなかった。今は心にナイフが刺さった感じ。)
自分を分析するに、こういう執着まみれの人って常に辛いほうを好む。
相手に執着できる理由をつくって安心したいというか・・・
相手に「こうしてほしかった!なんでしてくれないの!?」みたいに責める理由をいつも持っていたいというか。
ずっと悲劇のヒロインでいて、それを救ってくれる人を待っているというか。
しかも、全然自分から悲しくなろう、と意識してやっているわけじゃない。
自分が「執着をしながら生きる」と決めてしまったから、そういう行動をしないと生きていけなくなってしまう、という言い方が合っている。
だから、悪気があるわけじゃない。ただ、そうなる理由があるだけ。
私にも、メールを待つ理由がある。
でも、メールを待っている自分でいたくないのだ。執着と一緒に生きる女をやめたいんだ。
だからこうやって考えているんだけど。
こういう自分を自覚したとき、思ったことは
「私がなりたくない、“みっともない女”に私はなっているんだ(ガーン)」だった。
傍からみたら、私が「男に振り回され自分に自信がなく、かといってそれを脱却しようと頑張っている風でもなく、ただただ男に寄りかかっているだけの女」
だと一目瞭然だろう。
でも、私は自分がみっともない女という自覚が全くなかった。
「執着がないと生きていてない女」がする、自分から辛くなる、というその行為はいたって普通なのだ。通常営業。
むしろ、こんなに尽くしている私、超頑張ってるって思ったりもするし、こんな頑張っているのに、なぜ彼は応えてくれないの?!ってなるわけだ。
私だって、こんな感じだった。1年前までは。
私は少しずつ、執着さんと離れつつある。
だから、メールを待つ理由も少しずつ薄れていくはずなのだ。
悲しくなる理由なんて、もう自分がただ悲しくなるだけなのだ。
いやはや、昔の習慣と言うのはなんとも執拗なもので、あっという間に昔の感覚が今の自分の「普通」になってしまう。
私は、もうメールを待つ人生をやめたい。
執着とはもうオサラバして、自由に生きていきたい。
だから、もう悲しむ必要なんてない。
ああ、早く休みにならないかな。
後悔してた事を振り返ると、
今週も始まりました。平日が。
休みがちだった頃から比べると、月曜日の朝とか、日曜日の夜とかの気分が全然違う。
前は本当に頭と身体が重かった。
どう考えても、明日から仕事だ と思うとまあいいかとは全然考えられなかった。
あの頃は辛かったな。
本当は頑張れば行けるんだけど、休んじゃえ!って休んだ日もあったけど、今と比べると本当に行けない状態だった。
サボりみたいに休んだ日、とか、彼に構ってほしくて休んだ日をずっと後悔していたかも。
でも、どんな理由にしろ、本当に具合が悪かった。それはウソではなかった。
理由は世間的にみればあんまり良いものではなかったけど。
でも、あの頃の私にとって、それは「そうあるべきもの」だった。自然なことだった。
仕事はサボらないと限界だったし、彼に看病してもらう、それでわがままをきいてもらうことが癒しだと思い込んでいたから。
今はそういう事はしないし、看病してもらうことが自分が幸せになる癒しであるとは思っていない。
でも、確かに私はあの頃、そう思っていた。
そう思うことで、生きることをしていた。
だから、「間違い」ではないし「後悔すること」ではない気がしてきた。
あの時、完全に「必要」だったからそうしていた。
だから、それでよかったんだ。
どんなに恥ずかしい理由でも、あの時私は精一杯生きていて、限界だと思うこともたくさんあって、
それでも、それでも彼と一緒にいることを選んで苦しみ続けていた。
だから、苦しんでいた私には、サボることも甘えすぎてしまうことも自然の流れだった。
うん、だから後悔しなくていいよね。
だから、悲しまなくていいよね。
だって、必要だったんだもの。
あの時の自分を思い出すと苦しくなるときがあったけど、なんか今抱きしめて、「それでいいよ」って言えた様な気がした。
よしよし、この調子。
再びの試練
すっかり、落ち着いたな、と思ったら、
なんかなんかなんか!
前より彼との電話がそわそわする!
自分が依存しているのが良く分かってなんだかなんだか嫌な気分になる!
声聴いたらなんか調子狂った。
多分、前より自分のことを認識しているから、自分の奥深くから出てくる気持ちに気付いてしまう。
その奥深い気持ちは、全然心地よくないもので。
今までの考え方、習慣で染み付いたものが出てくる感じ。
今まで、彼以外の存在がいたから大丈夫だったけど、今は彼しかいなくなった。
あの子にはふられ、Rさんからはあの返信をしてからメールがこなくなった。
元カレともさよならしたからね。
やっぱり私はまだ、男性に依存したがるのだ。
まだ完全になくなってなんかいなかった。
ただ、あの子が、「彼への依存」から離してくれた。
5年間くっついて離れたくても離れられなかったのを、離してくれた。
それは本当に素晴らしいことで。
でも、今は彼しかいないため、「彼との結婚生活」を妄想することが多くなってしまった。
妄想して、はっと気付いてなんだかやるせない気持ちになるのだ。
「私はまだこんなことを考えてる」
「本当は今に集中したいのに」
「だからお菓子も食べちゃうのかな」
とか。
あーーーーーーーーーースッキリしない。
でも、彼に会いたい。
すごく会いたい。
でも、会おうよと言うのはなんだか気が引ける。
「今度一緒に○○しようね」というちょっとした誘いは彼は反応しないのだ。
それがなんか悲しいのだ。
会いたくないのかな。なんて思う。
あーーーーーーーーーーーーーーこんなこと思っているからスッキリしないんだよ。
分かっているよ。
分かっているけど、なーーーーーーーーーーーーって感じだよ。
早く帰って早く寝よう。
穏やかな自分
ここにきて、安定している。
あの子にふられたのは、つい先日のことだけど。
それが半年前くらいの事に思うときもあり、わざわざ思い出してちょっと悲しく切なくなったりするときもある。
自然と悲しくなるというより、“わざわざそうやっている”という感覚。
その時、「悲しくなりたい自分」がいることがよくわかる。
ズキン、と胸が痛んだとき、その痛みに酔いしれるのではなく、
「ああ、悲しみたい自分がいるんだな」と思ってあげると、その痛みがいつの間にか消えている。
酔いしれると、「ああ、私はまだ悲しんでいるんだな。私って可哀想だな。早く乗り越えなきゃいけないのにな」
とかって、悲しくなってしまう自分を責める。
それが今までの自分だったなあ。
昨日くらいから、なんだかずっと穏やかで、家族とも笑顔で過ごせている。
彼との関係も、「もう何も問題ないな」と思ったりもする。(結婚できるかどうかわからないって状態なのにね)
「もう何も問題ない」状態って、実はすごいことかもしれない。
っていうか、付き合ってきたこの5年半で初めてのことかもしれない。
今まで、ずっと苦しい思いをしていた。
だって、
・付き合って3ヶ月で実家同士で距離が駅4つだったのが、彼が名古屋赴任となる(遠距離恋愛)
・天真爛漫で、いつも笑わせてくれる彼が精神病(結構重め)にかかる。(不安障害、激しく怒る怒鳴る。)
・仕事で新卒採用担当となり、オーバーワーク気味になる。
・彼の休職&ニート期間が約2年くらい
・リクルートで派遣で働き始めたら、超絶地獄。
・安定して働き始めたかと思ったら、ネットワークビジネスを始める(不信感しかなかった)
・激しい偏頭痛&その他体調不良に悩む。 仕事は絶対に月1日以上は休む状態に
母親が何回も入院したり、もあったな。
てか、自分の仕事は最悪辛くてもいい。だって、それだけお金をいただくってのは簡単なことじゃないから。
どんな職場でも良いところ悪いところがあったし、どんなに辛くても逃げずに全力でやっていたから、「苦しかったこと」ではない気がする。
もう、自分でもわかっている。
わたしの「苦しかったこと」は全て彼のことだと。
私は、彼の起こる問題をどうにか自分が解決したい、と本気でおもってきた。
彼が不安だと言う→どんなに疲れてても一緒にいて、よしよしするのが私の務めだ。癒してあげられるようなことは全部やらなきゃ。
彼が怒鳴る→ここで私が包容力のある態度で包んであげなきゃ
彼が「誰も俺のことなんてわからないんだ」という→私はこれだけあなたのことを理解しているから大丈夫だよ!とアピールしまくる
彼が仕事で悩んで元気がない→その悩みが軽くなるようなアドバイスをして、元気をあげたい
なんていうか・・・もう書いていて苦しくなってくる。
はい、わたし、頑張りすぎです。
頑張りすぎちゃう私、頑張ったね。お疲れ様。
私の悩み・苦しさを彼が解決できないように、彼の悩み・苦しさも私が解決するものじゃない。
私は、人の苦しみとかを多分より敏感に感じ取る。だから辛さがわかる。
だから、何とかしてあげたい、という気持ちが先行してしまう。
でも、私は他の人の悩みを何とかできる人間ではない。という事がよくわかった。
だから、そんな事はしなくていい。ありのままで生きればいい。
彼という存在が、どんどん「頑張って頑張って、認めてもらう」ということから、「ただただ愛するだけの存在」になりつつある。
だからこんなにも心穏やかなのかなあ。
大、大失恋です。
いやあ、もう見事にあの子に、改めてふられました。
土曜の夜中にメールをみて、もうそれから日曜日はずっと死んでました。
入っていた予定は全部キャンセル。
考えたくなかったからひたすらゴロゴロしてスマホで漫画読んだり、動画を観たり。
食卓にも出たくなかったから、今日はご飯いらないといってひたすら夜お菓子を食べてました。
いや~超☆絶☆現実逃避をしました。正直お金を超使った。漫画って高いね。
寝る前と起きた直前、またすごく悲しくて泣いたんだけど、よし、仕事行くぞ!と起き上がってからは割とすっきり。
仕事に影響なく、変わりなく出勤できました。(肌はぼろぼろだけどwまあええねん。)
そのおかげで、背中がバキバキになった。
でも、こういう精神状態に戻れたのだからいいとする。
もう全部OKなのです。日曜日の自分、よく頑張った。
よく乗り越えました。
***************
あの子からきたメールは、本当にあの子らしくて。
彼女がやっぱり好きです。やっぱり彼女と付き合い続けます。と言われました。
「正直、色々考えていたんですが、」という前提の言葉があって。
しかも「付き合い続けます」という言葉のチョイスは、別れることも考えていた。と思った。
ああ私との未来のことも真剣に考えてくれてたんだなあと思いました。
そして、彼女と会って改めてやっぱり彼女だと思った。
気持ちの大きさに差はあれど、同じようなことを考えてくれた。
それだけで、もうお腹いっぱいだなと思いました。
ってか、好きだとは言ったけどお付き合いをお申し込みしてないし、振られる前に、彼に今年結婚できなければ別れようって言えたよ。
とメールしていたのに、「気持ちに応えられなくてごめんなさい・・・」と思いっきりふられるという。
だから、返事で「私も彼と向き合うから今は応えなくて良いし謝らなくていいよ」、と言いました。
(私的にこの文章が結構気に入っている)
あの子は彼女を選択した。
私も彼を選択した。
なのに私はまだ、あの子は絶対私と一緒になったほうがいい!みたいな厚かましさがあって。
「そう思うことをやめなさい」と神様が図ってくれて、だからあの子もきちんと言ってくれたのかな。と思う。
あの子のおかげもあり、やっと純粋に彼と向き合うことが出来るようになりました。
この経験で学んだのは、
『愛する人と付き合っている人がいるのに、別の人に「好き」と言ってはいけない、愛してはいけない』
ってこと。
私は、「好きだ!」と思うと本当にすぐ言いたくなってしまう。
我慢できないから、というのもあるけど、
「告白」は良い事だ。良い事なんだから別にいつ言っても大丈夫だ。
てか、言わなきゃ前に進まないから、早くはっきりさせたい。
って感じに思っていた。
だから、あの子にもすぐ言ってしまった。
私はあの子の事が好きなことは明らかだけど、じゃあ彼のことはどう思っているんだろう?
と客観的に考えれば、もっとよく進んだと思う。
「好きだ」と多分いくらでも思っていいと思う。
最近私の中で流行っているDJあおいさんも好きな人は常に5~6人いても当たり前。と言っていた。
でも、誰かを同時にうまく愛することなんて出来ないな、と思った。
だから、愛してはいけなかった。
だから、苦しいことが多分たくさんあった。
だから、余計に多く傷付いた。
でも、もうわかったよ。
今まで本当にあちこちいってしまっていた。
ビッチ状態だったかもね。
でも、もうそれは終わり。
今年いっぱいは、彼と向き合うのだ。
彼のする決断を待つのだ。
私たちにとって、別れるのも結婚するのも多分同じくらい辛くて、同じくらい幸せなことだ。
どちらを選ぶかは彼次第。
でも、絶対私の幸せを彼は考えてくれるはず。
だって、彼の幸せは私の幸せだから。
さあ、昨日母の日だったのに何も出来なかったからお花でも買って帰ろう。
今日もお疲れ様でした。