LIVE FREE -執着しないこと-

2016年1月にプロポーズされ、6月に体調不良で休職し、同時に母親が2度目のガンで手術し入院。その前に婚約していた彼から距離を置こう、と言われた28歳女のブログです。

彼のためにできること2

いや、なんか物凄く話がずれてしまったけど。
とにかく、彼は自分が何者かでないと不安がる。そういう自分でいないと自信がないのかもしれない。

今こそ、調子がかなり上がってきて休みがないくらい人と会って、生き生きしているけど、私は少し違和感がある。


そこまでして頑張る必要ある?って。
そんな彼じゃなくてもいいのに。っておもう。

誰かに評価されている自分、
何かを生み出している自分、
誰かより素晴らしい考えを持っている自分、
誰かに必要とされている自分、、、、

最近、彼と話すとこんなことばかり言っている気がする。
こんな自分、すごいでしょ?褒めて褒めて。と言われているような感じ。

正直、あまり興味がない。

そういうことが知りたいんじゃない。
彼の思い、気持ち、考えが知りたい。
こういうの、言ったことがないから今度言ってみようかな。


しいたけ占いでは、「バランスが取れていないあなたでも、私がフォローするから大丈夫だよ」的なことを言ってあげると良いと言っていた。
でも、今の私にはそういう事が言えない。なんか、「別にーちゃんにフォローしてもらう必要なんてない」って言われそう、と思うから。それ、なんか怖いなあ。ああ、まだ怖いって思うんだな。


私が彼に出来ることってなんだろう。
しいたけ占いみてて、分かった気がしたけどよく分からなくなってしまった。


でも、言いたいことも明確になったしいいか。

彼のためにできること1

しいたけ占いをみていて、思ったことを書く。
書かないと忘れそうだし。
https://ameblo.jp/shiitake-uranai-desuyo/theme2-10100949203.html


もちろん、今回も就業中に書いている(今日は4つ書く予定w)。
この良席と、業務内容からみてタイピングしすぎな私を気にしながらも何も言わない上司、に感謝して。あざます!


彼は山羊座。12月生まれ。山羊座について色々書いてあったので、彼が読んだらいいなって内容が見つかるかもしれないと思って読んでみた。

そしたら、私が彼に対してどうしたらいいかって気持ちが生まれたので書きます。





彼は、一言で言えばものすごく志が高い。
意識高い系とも違う。(あれは自分に酔っているだけだから)

知り合って約7年くらい経つけども、出会ったときから彼は一生懸命で、自分の志のためになら死ねます。くらいの覚悟をもっている。(これ、しいたけ占いに書いてあってかなり納得した)

そして、その志を諦めなければならない時、またはなくなった時、もう本当に抜け殻になる。

「こんな何もやりたいことがない自分なんて生きている意味がない」
「自分の軸になる考え方がないと、不安。焦る。」
「そんな自分といてもつまんないでしょ?」
「こんな自分と一緒にいたら友達までそうなってしまう。というか、こんな自分は誰にも見せたくない」

と病気して仕事を辞めてた2年間、私にこんな感じのことばかり言っていた。




いや~話変わっちゃうけど、まじで私頑張ったな。
こんな彼とずっと一緒にいて、仕事して帰って夕飯作ってマッサージしてあげて・・・


内に内に入っていってしまう彼、どんどん明るさがなくってしまう彼。
人間ってこうも変わってしまうんだ、って残酷な状態の中で、私は彼に何もしてあげられなかった。
いや、実際には家事とかマッサージとか話聞いたりとかたくさんやったけど。

どんどん沈む彼に私は手を差し伸べる方法を知らなくて(というかないのかもしれない)、彼が沼のそこにどんどん沈んでいってしまうのを、私は地上でただアワアワしていた感じ。



そっか、私はずっと、「あの時あんなにしてあげたのに(何で結婚しないの?)」と思っていたけど、私が頑張っていたことは「沼から出させる」ことをしていた訳ではなかったなあ。
彼が復活して、今頑張っているのは私のおかげではなく、彼の力だ。

もちろん、私がいたことで救われた部分はあるだろう。ないとは言わない。

でも、私が思い違いをしていたかもしれない。
彼が助けられたのは、「そんな自分でも一緒にいてくれた私」なだけで、家事を頑張ったことや、話を我慢して聞いたこと、マッサージを疲れているのにやったことではないのかもしれない。



いや、それを自分で評価して自分で頑張ったなって花丸をあげるのは大いにアリだろう。

でも、「私こんなに頑張ったんだから認めてよ!」と彼に求めるのは筋違いな気がしてきた。
だって、それは彼の為に頑張ったことじゃなくて、「彼は自分が救わなきゃいけないんだ」ってそこに居場所を求めた私の弱さからきているから。

ただ、自分の欲を満たす為に頑張ってきたことだった。

違う言い方をするなら、自分を犠牲にしてきたんだからその代償を払ってよ。というのはあまりにも愛がない行為かもしれない。というか、そうだな。


そっか、私は彼にもう、「こんなに頑張ったのになんで?!」って思わなくていいのか。
なんだかほっとした。肩の力が抜けた。

2に続く

相手を馬鹿にして笑うのはナシ!

彼のために出来ることって何だろう、と考えていたら、「彼のここが理解不能」って感情が出てきたので書く。
相変わらず何が起こるかわからないね。


1ヶ月ぶりくらいに会ったとき、あるセミナーの話をしていて。
単純にいえば、俺がすごいって話なんだけど。


今、目にかけてもらっている、保険会社のヘッドハンティングの女性の紹介で「モテる男のセミナー」にその女性と彼の友達と行ったらしい。
彼の友達は35歳で年齢=彼女いない歴の人だから、連れてきたらしい。


クイズ形式で、このシチュエーションの場合はどんな行動にでるのがモテ男なのか、を提示しながらどんどん進んでいくセミナー。
彼はここでみんながびっくりするくらい正解を出したらしい。
(絶対答えられないような、聞いているみんながびっくりする用のクイズも答えてしまったらしい)


先生も、どんどん彼を見る目が変わってきて、会場にいるみんなも、彼の友達も「俺を見る目がすごくてさ」
彼は自慢げに言っていた。いや、ここまではいいのよ。
嬉しかったんだろうしね。

ここからは時系列


その後にその他大勢と先生とお茶をしたとき、彼は先生が気持ちよくなるように反応してあげた。
「俺、そういうのわかっちゃうんだよね」
→わかっちゃうのは別にいい。

先生、お茶のときずっと生き生きしててさ。それをヘッドハンティングの人と後で共有してめっちゃ笑ったよ。
おれがあの時言ったとのあの反応凄かったよね!?って。
→いや、これだよこれ。
 自分が他人をコントロールしたことに対して何を勝ち誇っているの?
 しかもそれを他人に言って、なんで二人で笑っているの?え、笑えるのそれ、面白いのそれ。

 あなたがそこに来た目的ってなに?あなたの友達がいい経験するかもしれないって思ったから行ったんじゃないの?
 そうじゃなたかったとしても「俺の友達も、俺の事、こいつすごいみたいに見てたよ。完全にあいつの事置いてっちゃったよ」
 じゃないよね。置いてくために呼んだんじゃないよね?
 
 それでさ、その後フェイスブックも確認して、「ほら、先生こんな感じで書いてあったよ、まじやってやったわ」
 いや、さっきの笑う件がなければ、それはスルーできたかもしれないけど、なんかもうその人のこと馬鹿にしてるよね。

 それってあなたがどんなに凄くても全然尊敬できないんですけど!!!!(はあはあ)


って感じになりました。


どんな人でもばかにしちゃいけない。
もし同じようなことがあったら次は言おう。

昔の自分を抱きしめる

なんだか今自分の中ですごいことが起きている気がする。
これに気付いたとき、体中が熱くなった。
肩から指先に向けて、血管が流れているのをすごく感じた。

「依存しない自分でいられるように頑張る」 ということはしなくていいかもしれない。
もしかしてもしかして、「依存しない自分」とは、頑張らない自分でいればいいかもしれない。

いままで、ずっと頑張ってきた。婚約後に彼と離れてからは、「依存する自分」がいたからこうなったのだと、だからこれはいけない事だと思って「依存しない」とは何か考えて頑張ってやってきた。
辛いな、と思ったとき、反射的に「依存しているからだ、じゃあ依存しないってどういうことだろう?」と、悶々と考える日々を過ごしてきたように思う。

彼と接してても、「依存するわたしじゃ嫌われる」と思っていたから、「依存しない言い方、接し方じゃないと」ってずっと思ってきた。


「依存していない自分でいなきゃいけない」

これが今の私を不自由にしていたのかもしれない。
でも、これがずっと私の背中を押してくれたのも確かなんだ。

依存大好きな私でいたくない。もっと自由で、自分が大好きで、明るい私でいたかった。
だからこそ、依存している私は嫌いだった。
そりゃ彼も一緒にいるのがイヤになるよな、と思っていた。

でも、そう思うのはやめようかな。

依存してしまう弱い自分も、間違いなくわたしなんだ。
過去のわたし。だから、“嫌い”だと思うことはやめよう。

あの時はあの時なりの幸せがあった。楽しさがあった。嬉しさがあった。
苦しい時間が多かったし、体調もずっとわるかったけど、ずっと不幸なわけではなかった。

過去の自分を嫌いになると、その時の頑張りを自分で認められなくなる。
そうすると、ずっと心に「なんで頑張ってきたことを評価しないんだ」という満たされないモヤモヤが残る。
そうすると、満たされないそれを他人に求める。

そして依存型人間になってしまう。

人と人との間で、自分が本当に求めることをしてくれる人なんていないと思う。
あっても一瞬なのだ。
そして、「満たしてください!」と人に求めてしまうと、人は不思議と与えてくれないのだ。


その満たされてない感、まずは自分で満たしてみよう。
それには、過去に頑張ってきた自分を抱きしめること。

私は、依存していた自分を抱きしめる。あの頃辛かったね。でも、私の持っている全てを使って全力で頑張っていたよね。
あの頃頑張っていたわたしがいるから、今のわたしがいるよ。

依存することは、相手にとっても重いけど、まずは自分にとって重いことであると、幸せになりたいならまずここから何とかしよう、と教えてくれたのは紛れもなくあなたです。

本当にありがとう。頑張ってくれてありがとう。
あの頃のあなたのためにも、わたしは今の自分を幸せにするために本気で行動していくよ。

嫌な上司との事象(まとめ)

・今の出来事の何が自分にとって“イヤ”だったのか 私はその時何をしたかったのか
・それを今どう捉えることが自分の幸せにつながるのか
・今後、それにどう対応したらいいのか




・今の出来事の何が自分にとって“イヤ”だったのか 私はその時何をしたかったのか


私より焦っていたこと
私には興味がなく、そのミスをどう挽回するかだけしか考えていないこと(ヒアリングされていない)
さらに、ミスを挽回することよりも、それによって「迷惑をかけた人間」にどう思われるかという事しか気にしていないところ
(結果、私の早とちりという解決に至ったのに、上司の頭は「もうこの人に言っちゃったよどうすんの」くらいの頭しかなかった 問題を展開した)
私の早とちりをミスだと早とちりしたのは上司なのに、「なにやってんだよ」みたいな空気が流れたこと
解決したのに、陰湿な空気が流れたこと(全部私のせいなの?という憤りがある)
馬鹿にしたように笑ったこと
自分の意見を言うばかりで、何も聞いてくれないこと


その時・・・
ミスをしたなのなら出来る限りの手段を使って内容を明確にしたい
(そのミスの影響がわかってから処理するのではなく)
→そんな事しなくていいよと言われてイヤだった(責任を取っていない感じ)


全体的に言うと、「部下の意見を聞かず、自分の面子だけ守ろうとする上司」が許せない。
 責任感がない
 “上司”としての覚悟が足りない
 人間として魅力がない
 自分を守ることしか考えていない姿勢はみっともない
 
 
・それを今どう捉えることが自分の幸せにつながるのか
これは解決すべき問題なのか?と最初に思う。
上司は保守的過ぎる。これは本当にイヤだ。肌に合わない。
でも、それを変えることは出来ないなと思う。


ここに入った当初は、「私が思う理想の働き方がしたい」と思っていた。
今、本当にそう思うか?
「私の理想」が「このチームの、メンバーの理想」とは限らない。

今はなんとなく、それを押し付けるのは恥ずかしいことだな、と思う。
(これって成長なのかな)

そして、本当に私はこの人たちといい関係で仕事がしたいのか?
と改めて考える。
すると、別にいいかな、と思う。

この人たちといい関係になりたい!と思うエネルギーを別のところに使いたいという気持ちが大きい。


煩悩リセット稽古帳で、「職場はどんな役職だろうと、“訪問者”として自分を置いたほうがよい」という言葉がしっくりくる。

私は派遣だし、そこにずっといるわけじゃない。ここの職場と共に人生を生きるわけじゃない。
というか、仕事場は私のものではない。

だから、私の理想を押し付ける場所ではないなと思う。


・今後、それにどう対応したらいいのか
でも、そうはいってもイライラするときとか、絶対ある。
なんでこういう言い方するんだろう、なぜこうしてくれないんだろう、
そう思うときはこれからもあるだろう。


そんな時は、これを思い出す。「ここは私の居場所じゃない」
そして、私の持っている光に注目して、自然とみんなを照らすような存在になれば、私はそこに役にたつ。
自分の理想をかなえる場所はここではない。

もっと自分で作っていかなきゃいけない。

なぜ私はメールを待っているのか

メールが来ない、またはこういうメールがほしいのにな、って苦しくなっているときは、承認欲求が“恐れ”に支配されているとき。
苦しいっ!ってなったら、一旦その気持ちを俯瞰してみよう。

こういう気持ちのままいるとどうなるんだろう、
こういう自分でいたいんだっけ?
そういう自分は好き?

と自分に問いかけてみよう。


ちょっと考えてみよう。
「なぜ私はメールを待っているのか」

・寂しい気持ちがあるから
・構ってほしいから
・誰かに必要とされたいから
・相手がどうしているか気になるから

・連絡がない=相手が自分に興味がない という方程式が脳にインプットされてて、メールチェックをする度に悲しくなりたいから
う~ん、これな!って感じです。これだよこれ。


わたし、あえて自分から悲しくなるほうへ行ってるんだって最近本当に実感している。
(前は整体師さんにそう言われても今くらい納得してなかった。今は心にナイフが刺さった感じ。)



自分を分析するに、こういう執着まみれの人って常に辛いほうを好む。
相手に執着できる理由をつくって安心したいというか・・・

相手に「こうしてほしかった!なんでしてくれないの!?」みたいに責める理由をいつも持っていたいというか。
ずっと悲劇のヒロインでいて、それを救ってくれる人を待っているというか。

しかも、全然自分から悲しくなろう、と意識してやっているわけじゃない。
自分が「執着をしながら生きる」と決めてしまったから、そういう行動をしないと生きていけなくなってしまう、という言い方が合っている。

だから、悪気があるわけじゃない。ただ、そうなる理由があるだけ。




私にも、メールを待つ理由がある。

でも、メールを待っている自分でいたくないのだ。執着と一緒に生きる女をやめたいんだ。
だからこうやって考えているんだけど。


こういう自分を自覚したとき、思ったことは
「私がなりたくない、“みっともない女”に私はなっているんだ(ガーン)」だった。

傍からみたら、私が「男に振り回され自分に自信がなく、かといってそれを脱却しようと頑張っている風でもなく、ただただ男に寄りかかっているだけの女」
だと一目瞭然だろう。

でも、私は自分がみっともない女という自覚が全くなかった。

「執着がないと生きていてない女」がする、自分から辛くなる、というその行為はいたって普通なのだ。通常営業。
むしろ、こんなに尽くしている私、超頑張ってるって思ったりもするし、こんな頑張っているのに、なぜ彼は応えてくれないの?!ってなるわけだ。

私だって、こんな感じだった。1年前までは。



私は少しずつ、執着さんと離れつつある。
だから、メールを待つ理由も少しずつ薄れていくはずなのだ。
悲しくなる理由なんて、もう自分がただ悲しくなるだけなのだ。

いやはや、昔の習慣と言うのはなんとも執拗なもので、あっという間に昔の感覚が今の自分の「普通」になってしまう。



私は、もうメールを待つ人生をやめたい。
執着とはもうオサラバして、自由に生きていきたい。

だから、もう悲しむ必要なんてない。


ああ、早く休みにならないかな。

後悔してた事を振り返ると、

今週も始まりました。平日が。

休みがちだった頃から比べると、月曜日の朝とか、日曜日の夜とかの気分が全然違う。

前は本当に頭と身体が重かった。
どう考えても、明日から仕事だ と思うとまあいいかとは全然考えられなかった。

あの頃は辛かったな。
本当は頑張れば行けるんだけど、休んじゃえ!って休んだ日もあったけど、今と比べると本当に行けない状態だった。

サボりみたいに休んだ日、とか、彼に構ってほしくて休んだ日をずっと後悔していたかも。


でも、どんな理由にしろ、本当に具合が悪かった。それはウソではなかった。


理由は世間的にみればあんまり良いものではなかったけど。

でも、あの頃の私にとって、それは「そうあるべきもの」だった。自然なことだった。
仕事はサボらないと限界だったし、彼に看病してもらう、それでわがままをきいてもらうことが癒しだと思い込んでいたから。


今はそういう事はしないし、看病してもらうことが自分が幸せになる癒しであるとは思っていない。
でも、確かに私はあの頃、そう思っていた。

そう思うことで、生きることをしていた。

だから、「間違い」ではないし「後悔すること」ではない気がしてきた。

あの時、完全に「必要」だったからそうしていた。
だから、それでよかったんだ。

どんなに恥ずかしい理由でも、あの時私は精一杯生きていて、限界だと思うこともたくさんあって、
それでも、それでも彼と一緒にいることを選んで苦しみ続けていた。

だから、苦しんでいた私には、サボることも甘えすぎてしまうことも自然の流れだった。


うん、だから後悔しなくていいよね。
だから、悲しまなくていいよね。


だって、必要だったんだもの。



あの時の自分を思い出すと苦しくなるときがあったけど、なんか今抱きしめて、「それでいいよ」って言えた様な気がした。



よしよし、この調子。